1人でいることは、失うことも多いけれど、得るものも多い。
どうでもいい世界観を持って誰かに似た人になるよりも、自分だけの世界観を持って、1人でいたほうがどれだけいいか。
こういう自分にとって学校ほどいやなものはなかった。
誰かに話しを合わせ友達を作っておかないと、次の予定もわからず、病気で休んだときなど中のいい人間がいないと、ノートもとれない。
自分にとっては学校はまさに地獄だった。
だけれども子供時代よかったことは、あのころ読んでいた本やマンガが、誰とも話を合わせられなかったにせよ、自分にとっては血肉になっていること。
そりゃそうだ、みんなアイドルやひょうきん族に夢中になっているときに、
「コロコロコミック読んだ?」
とか
「マカロニほうれん荘、トシちゃんの性格、1巻と最終巻で違うよなあ。」
とか聞けなかったもんね。
心の中でいつも叫んでいたよ
「この俺はなんだ?どうしてこの世に生きている!!」
なんて、誰かが聞いても引かれるだけだったろう。
自分にとって本やマンガだけが心の支えだったとき。
今見返したら、なんでこんなのが面白かったのだろうと思えるバカボンなんて、当時は腹を抱えて笑った。
赤塚不二夫は、当時なにかの拍子に興味をもって調べたのだけれど、ああいう作風とは裏腹に、とても苦労人だったことを後から知った。
母子家庭で苦労して育ったことや、あとからトキワ荘で漫画家をやめようとまで思ったこと、寺田ヒロオ氏から借金して一念発起したこと、人ってみかけによらないってことを子供の頃知った。
ほんと学ばせてもらっている。
面白いもの、感動するものを作っている人ほど、人知れず苦労しているんだ。
赤塚不二夫を例にとったけれど、ああいう世界観を持った人たちは、友人はたくさんいたかもしれないが、結局1人で悩んで1人の世界を完成させていっている。
誰の真似でもない自分自身。
今のマンガみたいに、みんな目が大きくて、髪型だけ変えれば登場人物皆同じになるような、そんな漫画家1人もいなかったな。
漫画家を例にとったけれど、自分の世界観は大切にしないといけないよ。
この銀次郎、タイで誘われるオフ会とか、日本人会とか、ほぼ断っている。
そこに集まっている人たちや誘ってくれる人たちは悪い人ではないっていうのはわかっているんだけれど、苦手なんだ、空気の読めない男にとっては。
誰かが自分に一般的な世間話をされているときに、自分が頭の中で
「・・・火の鳥の世界観はどんな本が参考になっているのか。若きウェルテルの悩みとかかなあ・・・。」
とか思っていたら失礼でしょう。
こんな自分、自分でめんどくさいと思います。
ほんとうにすいません。
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