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2021年09月20日08:12

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人の幸・不幸とは香水のようなもの

自分の子供時代、周囲にろくな大人はいなくて、まさに蠱毒としかいいようない中で育ち、今無事に生活できていることを思うと、奇跡だと感じる。

自分のことを褒めてくださる人たちもいるが、自分は一歩まちがえば、自分の欲得のためだけに人を騙したり傷つけたり、死刑台に上がるような人間の方であり、今ここでなんだかんだ無事に生活できているのは、自分が努力したわけでも、才能があったからでもない。

単に運がよかったから。

人は時にして眼前に立ちはだかる絶望的な状況を克服しようとすれば、哲学的な達観ではなくて、悔しさ、惨めさ、悲しさ、そして怒りと言ったような泥臭い感情が必要になる。

運が悪いと、そんな感情は、世の中にいくらでもいる、悪い連中に絡め取られる。そして抜け出せなくなる。

ここで悪い奴、と一言でいうが、おそらくこれを読んで下さっている、99%の方達は想像がつかないだろう。

悪い奴は、魅力的である。

それまでに道ばたに落ちている小石を拾うようにして日々の幸福を拾い、愛情や信用に飢えている人間にとっては悪い奴は、神様以上の存在になる。

「・・お前をバカにする奴は許さねえ、俺に言ってこい。お前は俺の家族だ。」

惨めさのなかで暮らしている人間にとって、そういう言葉が例えチンピラの一言だったとて、それを聞いてしまえば、心ぐらつかない人間はいないと思う。

身体の悪いときには負ぶって病院にまで連れて行ってくれる。

生活の細々したことにまで、気を遣ってくれる。

自分の父親や母親までがしなかったこと、言わなかったことを悪い連中に言われ匿われれば、その存在はとてつもなく大きくなる。

根が真面目で、恩義を感じやすく、人に愛情深い人間こそが、はまっていく。社会にはそんな闇が存在する。

しかし、悪い人間の社会は所詮、簒奪システムのなかでできあがっている。

彼らの言う「家族」英語圏でもギャングはファミリーという言葉を使うが、下部の人間から上納金を得ることで成立している。

昔はヤクザ・チンピラであったが、今は半グレや中国系犯罪集団にとってかわっている。
ただそのシステム自体は昔のヤクザやチンピラとそう大差ない。

彼らに絡め取られれば、悪くすれば刑務所の中で人生の大半を過ごすことになり、最悪、13階段を上ることになるだろう。

自分はいくつかあった人生の危機を、偶然知り合った人たちの善意で救われただけの人間であり、そんな人たちのおかげで、自暴自棄にならずにすんだだけのことだ。

めったに会うことはできないが、世の中にはたった今知り合った人のために涙を流せる人がいる。

遠い世界の不幸やできごとを、まるで隣の家であったかのように同情できる人がいる。

人は今いる環境が絶望的でも、住むところを変え、会う人たちを選んでみれば、案外そこに脱出口が見えるものだ。

アメリカの哲学者エマーソンが言った言葉でたしかこういうのがあった。

「人の幸・不幸は例えば香水のようなものだ。人に振りかけると必ず自分にも降りかかる。」

ほんとうにこの言葉通りかもしれない。

肥だめに生まれ落ちてきた人間であっても、時がくれば香水をもち、それを分けようと考える人たちによっていつかは香るようになる。

人生の幸・不幸を分けるのは、案外このエマーソンの言葉の中にあるかもしれない。
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