最前の記事で、誰かが北関東にてさすらう自分のことを、
「木枯らし紋次郎」
と茶化した(笑)
あー、紋次郎はね、あれ博徒で、当時どこでも嫌われ者の、英語で言うドリフターズなんですよ。
まあ嫌われ者で、流れ者でっていうことなら、そこだけ似てる(笑)
ただ、当時の紋次郎みたいな博徒は、御法度の裏街道を歩き、義理で人を殺すこともあったから人相帳に名前が載ることも少なくなかった。
江戸時代、田畑を継げない農家の次男三男が名前を挙げようと思ったら、医師か町道場で有名になるしかなかったんだけれど、医師なんて腕をあげようと思ったら長崎とかにでかけてポンペだとかああいうオランダ医師に弟子入りするとか、今では海外留学以上のお金がかかったし、町道場に出入りしたとしても、5−6年素振りを続けるような無味乾燥の修練に堪えるしかなかった。
徳川泰平期の農家次男三男は、ほんとに大変だったと思う。
紋次郎は架空の人物ではあるが喧嘩殺法で腕が立つ。
こういうのは気で相手を呑む天然理心流だとか、薩摩示現流の、いわゆる田舎殺法で、実際そこまでつよかったら町道場の師範になれるような人物なんだけれど、紋次郎は裏街道を突き進むんだよね。
まあ小説としては面白いけれど、現実は違う。仮にそこまで強かったら、道場主になっていたろうと思うよ。
銀次郎は江戸時代に生まれていたらどうなったろう。
膂力に弱いから剣客は無理だ。
記憶力も弱いから、医師にも無理だ。
算術も一番低い能力だから、番頭から商人にも無理だ。
そんな自分が選ぶ仕事はたぶん薬売り。
諸国を練り歩いて、効くか効かぬかわからない薬を売り歩いて、たまあに田舎に戻るというね。
それにしても当時、諸国を練り歩く薬売りだとか、香具師の類いにも、密かな楽しみはあった。
辻辻の村落は、当時娯楽がなかったから、薬売りだとか香具師が尋ねてきたら、それは貴重な村外のことを知る情報源だった。
場所によっては歓待されるし、一番の役得は女性とXXXになれることも少なくなかったという。
狭い村落では何代も続くとどうしても近親交配が進む。
だから、旅人は村の中ではもてたし、進んで娘をあてがう農家もあった。
僻地の海に近い村なんかでは、男は皆近くの町に労働力に駆り出され、海女はこぞって男の旅人を求めたというから、そういうのも当時、薬売りとか諸国巡りが絶えなかった理由のひとつであると思う。
いや、銀次郎が女性と関係を持ちたいというのとは違ってですね。
当時はそうであったという話です、はい。
https://www.youtube.com/watch?v=HPo5yTbpcKs
ログインしてコメントを確認・投稿する