題名:昭和の怪物 七つの謎
著者:保阪 正康(ほさか・まさやす)
出版:講談社現代新書
価格:880円+税(2019年6月 第13刷発行)
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毎年8月15日前後は太平洋戦争関連の本を読むようにしています。
今年は、保阪正康さんの『昭和の怪物 七つの謎』を読みました。
帯の言葉を引用します。
“昭和史研究の第一人者が出会った「戦争の目撃者たち」
東條英機、石原莞爾、犬養毅、渡辺和子、瀬島龍三、吉田茂が残した
「歴史の闇」に迫る”
目次は次の通りです。
第一章 東條英機は何に脅えていたのか
第二章 石原莞爾は東條暗殺計画を知っていたのか
第三章 石原莞爾の「世界最終戦論」とは何だったのか
第四章 犬養毅は襲撃の影を見抜いていたのか
第五章 渡辺和子は死ぬまで誰を赦さなかったのか
第六章 瀬島龍三は史実をどう改竄したのか
第七章 吉田茂はなぜ護憲にこだわったのか
あとがき
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印象に残った文章を引用します。
{ }は私が補足した言葉です。
【第一章 東條英機は何に脅えていたのか】から、東条英機の抜きがたい偏見について。
“私は{東条英機の秘書をしていた}赤松の多くの証言を聞いて、昭和十年代の陸軍の最大の誤りは、「人事異動、とくに東條人事にあった」と考えるに至った。
明確な戦略を持つ有能な将校、学究肌で軍事は政治の下にあるべきと考える将校、そして何より陸軍の論理そのものが政治や外交のチェックを受けるべきだと受け止めていた将校は、大体が中央の要職から追われていった。(略)
東條にとっては、このような駐在武官が送ってくる客観的データを伴った報告書は、弱虫、小心者によるものであり、彼らを一定のポストに就かせてはいけないという抜きがたい信仰が、あった”(20p)
【第二章 石原莞爾は東條暗殺計画を知っていたのか】から、石原莞爾が東京裁判(極東国際軍事裁判)で発言した大胆な意見。
“そしてこの{東京裁判の}ときに次のような意見も述べたというのである。
「東京裁判を見るに、日本の戦犯は東條をはじめとして、いずれも権力主義者で、権力に媚び、時の勢力の大きい方について、甘い夢を見ていた者ばかりで、莫大な経費をかけて世界のお歴々が集まって国際裁判に付するだけの値打ちのある者は一人もいない。みんな犬のような者ばかりではないか。
アメリカは戦争に勝って、今は世界の大国である。
世界の大国が、犬をつかまえて裁判したとあっては、後世の物笑いになる。アメリカの恥だ。裁判をやめて帰ってはどうか」”(60p)
【第三章 石原莞爾の「世界最終戦論」とは何だったのか】から、石原莞爾は兵士を「人間」として扱ったということ。
“私は{石原莞爾が}第四連隊長時代に部下だった兵士たちのうち何人かに話を聞いたことがあるのだが、
「風呂にいつでも入れるようにしてくれた」
「中国に出征しても第四連隊の兵士は銃撃されなかった」
「貧農の息子には家庭の心配までした」
「軍隊にいる間に無線機の使い方を覚えた」
といった声が幾つもあふれていた。
これは特筆されなければならないことだが、石原は兵士を「人間」として扱ったのである。単に兵士を「軍備」と見る高級将校とは確かに一線を画していた”(120p)
【第四章 犬養毅は襲撃の影を見抜いていたのか】から、犬養毅の歴史的な罪について。
“犬養毅は「憲政の神様」といわれ、日本の議会政治の申し子とされている。(略)
しかし重大な過ちをも何度か犯している。
たとえば、昭和五年のロンドンでの海軍の軍縮会議では、政府の側が対米英比率七割近くの数字を受け入れ、調印している。(略)
議会では野党であった政友会の犬養や鳩山一郎などが、「民政党内閣は統帥権干犯を犯しているのではないか」と攻撃を続けた。つまり、軍部の力を借りて政府与党を攻撃するという構図になった。軍部に公然と統帥権干犯という伝家の宝刀があることを教えることにもなったのである。
その点では犬養毅や鳩山一郎らの歴史的な罪は重かったのだ”(144p)
【第五章 渡辺和子は死ぬまで誰を赦さなかったのか】から、二・二六事件で殺害された渡辺錠太郎陸軍教育総監の娘について。
“二・二六事件(昭和十一年)で(略)
わずが九歳で青年将校や兵士たちに父が機関銃で撃たれたその現場にいて、一部始終を目撃したのが、渡辺和子だった。(略)
その寝室で軽機関銃を持った兵士たちが、父を狙って乱射し、そして父も拳銃で応戦して撃ち合いになっている。まさに渡辺錠太郎は見る影もなく殺されたのである”(173p)
なお、渡辺和子さんは晩年に上梓したエッセー集『置かれた場所で咲きなさい』がベストセラーになった方です。
【第六章 瀬島龍三は史実をどう改竄したのか】から、現在まで続く官僚の嘘について。
“瀬島に代表される軍官僚の言動は(略)
昨今の国会審議でもこれに類する官僚の無責任さ(記録を焼却しているとの虚言とも思える言辞など)は、容易に指摘できる。
森友、加計問題での財務省の局長や官邸秘書官など、いわゆるエリート官僚は、二つのごまかしを行っている。「史料がない」、あるいは「記憶がない」、そして現実に史料が存在したり、改竄(これは部下に答弁の整合性を保つために命じる)が明らかになったら、「史料の存在を知らなかった」「私の記憶と異なる」と平然と嘘をつく”(212p)
【第七章 吉田茂はなぜ護憲にこだわったのか】から、吉田茂が新憲法草案の公布を十一月三日にした理由。
“この{新憲法草案の}手続きで気になるのは(公布日の)十一月三日である。大日本帝国下ではこの日は明治節(明治天皇の誕生日)とされている。
吉田がこの日を選んだのは、天皇の「日本の民主主義は明治天皇の発せられた『五箇条の御誓文』にみられる」との発言(この年一月一日の人間宣言)に関わりを持たせようとの配慮であったのだろう。
GHQの将校の中には、十一月三日に新憲法の公布はおかしいとの論もあったが、吉田は直々にマッカーサーを説得して認めさせたのである”(246p)
最後に第一章の言葉を引用して締めくくります。
“いみじくも天皇側近の一人である侍従はこう口にしていた。
「軍人たちにこの国を任せたツケはこれから五十年、百年も続くでしょう。理念なき戦争を行った軍人たちのその責任は、どれほど問うたところでそこには際限はない。
東条英機という軍人を丸裸にしてわかるのは、戦争の真の意味を理解していなかった昭和陸軍の最大の問題が、この軍人に集約されているということなんです」
まさに至言である”(48p)
「自分で考えることなく、全体に流されてしまう」「権力に媚び、時の勢力の大きい方についてしまう」そういった傾向が、まだ日本全体に残っているのではないかと考えてしまう内容でした。
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保阪 正康(ほさか・まさやす)
1939年、北海道生れ。現代史研究家、ノンフィクション作家。同志社大学文学部卒。
1972年『死なう団事件』で作家デビュー。2004年個人誌「昭和史講座」の刊行により菊池寛賞受賞。
2017年『ナショナリズムの昭和』で和辻哲郎文化賞を受賞。
近現代史の実証的研究をつづけ、これまで延べ4000人から証言を得ている。
『陸軍省軍務局と日米開戦』『あの戦争は何だったのか』『昭和史の大河を往く』シリーズなど著書多数。
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