「面白がれる」って、能力だと思ったりする。
「面白がれる」人に、強さを感じたりする。
対象によるかも知れないし、
どうしたって無理な事象もあるかも知れない。
しかし「面白がれる」人って、
大抵の事は「面白がれる」人なのではないかと思う。
「面白がれる」とは、物事の捉え方の一つだと思う。
捉え方は、スキルとして学び、身につける事も程度出来ると思うが、
その人の生育歴や環境面、
対人関係の歴史や積み重ねて来たパターンも、深く影響はすると思う。
なのでスキルとして身につけるには、
「変えたい、変わりたい」というエネルギーが必要になると思う。
今迄自分を支えて来たシステムを更新するエネルギーが必要になるのだと思う。
意識しながら更新作業に向き合うならば、
過去を分析しながら、強い意志を持って、という事になるのだろう。
「面白がる」のも大変だ。
気付かぬ内に、無意識が更新作業を進めて行くというパターンも、
場合によって、あるかも知れない。
「その方がラクである。生き易い」と。
どんなに楽しい事や興味深い事でも、
殆どの物事を「つまらない」と感じる捉え方もある。
捉え方によっては、
殆どの物事が「こわい」「つらい」にもなり得る。
それでもやって行ける逞しさもあるかも知れないが、
「面白がれる」って、その時点で、何となく「強いなァ」と感じる。
別に「面白がれる」でないといけないわけじゃない。
でも例えば、「面白がれる」人って、
どんな映画を観ても「カネ返せ」とはならないんだろうナ。
タフだ。
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