今宮純さんが亡くなった。
マイミクさんの言葉、
「自分が中継を欠かさず見ていた80〜90年代、
F1が一番華やかでカッコ良い一時代を、
今宮さんの優しく冷静でわかりやすい解説で見られたことを嬉しく思います」
に、私も共感させて頂いた。
今宮さんの解説のある事に安心し、「嗚呼F1の時間だナ」と感じながら、
楽しく観戦していた時代が懐かしい。
多くの視聴者にとって、
「今宮さんの優しく冷静でわかりやすい解説の付いたF1中継」イコール「F1」、
であったのではなかろうか。
そういえば昔、テレビの洋画劇場で、
淀川さんや荻さんや水野さんの解説を、
映画の始めと終わりに聴きながら、楽しんでいたのを思い出す。
今はインターネットで、
自分と同じ一般客の方々の映画レビューを一望する事も出来、
様々な批評に触れられる様になった。
しかしそうした環境の無かった時代、
テレビの洋画劇場の解説者たちは、
映画のナビゲーター、水先案内人そのものだった。
例えば「水野晴郎の映画がいっぱい」という短いおまけコーナーも、
ネット無き時代に動画で映画紹介を見る事の出来る、
貴重な映画情報メディアだった。
映画雑誌や新聞の映画批評等、紙媒体での映画情報もあったが、
当時の動画メディアのてっぺんだったテレビに於いて、
私は淀川さんや荻さんや水野さん、あと小森のオバチャマを通して、
殆どの映画に触れていた気がする。
例えばチャップリンと言えば、一緒に淀川さんが浮かんで来るのである。
情報の構成要素に、案内人の個性や人柄が含まれていた。
今宮さんの解説から感じられたお人柄も、
あの熱かったF1テレビ観戦の時代を、構成している要素だった。
現在は人柄の見えない情報に大量に触れる事が出来る。
少数のフィルターを通されたものでない、無色の情報の海を泳げる。
しかし時々、色の付いた情報を懐かしく思う事もある。
今宮さんは素敵な色を残して、走り抜けて行った。
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