mixiユーザー(id:42002624)

2019年07月13日10:20

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目前の難を逃れるには

令和になってからも、色々な報道が飛び交っていますが、
地球世界の各地で異常気象が増している様子は本当に心配です。
皆様のお住まい、周囲の地域、ご親族やご友人の所は平穏でしょうか?

他人事のように思っていた事故や事件が、ある日ある時に突然
わが身に降りかかってくるのは、もはや普通に有り得ることです。
そのような緊急時には、ともかく目前の難を逃れなくてはなりません。

そのためには、日頃から心身と周囲を整えて備える事が重要になります。
例えば、火災に対して消火器を備える、それを扱う最低限の体力を備える、
そして必要な時に手順良く操作できるようにしておくことが肝要でしょう。

最近、防災用品の一つのように鎮心経を備える方も増えてまいりました。
それは賢明な準備でしょう。けれど、折角備えられた経咒も、緊急時に
すぐに使えるように、日頃から親しんでおかれてこそ役立つものです。

鎮心経だけでなく、各人の縁じておられる宗教のお祓いや祝詞、真言、
お題目やお祈りの言葉なども、日頃から親しんでいてこそ、緊急時に
慌てず取り出せて、奇跡的な避難や心強い援助につながるものです。

ところで、それらをお唱えする基本的なコツがあります。それは、
とりあえず目前の難を逃れるのが目的である場合でも、できるだけ
公の気持ち、自分だけでなく「全体的な安寧を願う」という事です。

自分を守る欲求や行動は生物として当然で、悪い事ではありません。
けれど、どのような場合でも、周囲の人や物、環境を大切に思う人を、
天地、神仏等は優先的に保護支援される、という道理になっています。

その旨は経典(正経午集17―1など)にもはっきりと説かれています。
今風に申しますと、人の公の気持ちに対応して天地の正気が共鳴するため
エネルギーが自然に供給されやすくなる、という物理的な現象でしょう。

実際に「公の意識」を普段から少しずつでも心掛けて増やしてゆきますと、
人格といいますか霊性が次第に向上してゆくものです。そして結果的には、
難行苦行などせずとも、いつの間にか聖賢の域に達することも有り得ます。

それは、寡欲で素朴な信仰の人の生き方こそ実は尊いという説にも通ずる
かもしれません。けれど、誦経の場合はもっと積極的に天地世界に対して
霊的な貢献が可能になる、という点が素晴らしい訳です。簡単ですしね。

ベテランの方も初心の方も、なるべく日々御経や咒、お祈りに親しむと共に、
それを行う時の「公の気持ちで」というコツを思い起こしていただきまして、
同じ時間、労力をより有意義に十二分に活かしていただきたいと思います。

そうして、ご自身の目前の難を逃れるのみならず、明日明後日の難も、
周囲の難も自然に避けられ、引いては全ての難が未然に弭化される、
そのような人生を送っていただきたい、と願っております。

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