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2019年06月02日10:23

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伊藤野枝

(この下書きを書いている途中でパソコンがおかしくなった。途中までで続けられなくなり、その後新しいパソコンが動き出した6月に入ってから続きを書いた。)

先日NHKで伊藤野枝についての番組があった。
(”****悪女伝説”と言うタイトルだった。****はバカリズムとかなんとか)
この番組を見て伊藤野枝というのは悪女だったのかと始めて思った。

私は50年以上前のまだ学生の頃、瀬戸内晴美の”美は乱調にあり”という本を読んだ。
瀬戸内寂聴がまだ出家する前の作品で、1966年度作となっている。
この作品は伊藤野枝のことを小説仕立てで書かれているドキュメンタリーだ。
当時これを読んでかなり衝撃をうけた。
その当時は伊藤野枝を知らず、この本を読んで明治末から大正にかけてtたくさんの先駆的な女性がいたことを知った、伊藤野枝はそんな女性の一人だった、と同時に作者瀬戸内晴美のとても女性とは思えない熱い筆さばきと情熱に非常におどろいた。
当時の瀬戸内晴美のイメージはするどい論法で男を遣り込める情熱家という感じだった。(当時は40代の気鋭の女流作家だった。)
いまも大変活動的で様々な活動をされているが、私の中では昔の瀬戸内晴美と今の瀬戸内寂聴は別人のような感じを受ける。

伊藤野枝について書かれていることを思い出してみると、
実家が九州で東京の女学校に通い、卒業後九州に帰ると隣村の人物と結婚させられてしまう。(17歳)
1週間で婚家を逃げ出して東京へ行き、女学校時代の英語教師であった辻潤(ダダイスト)の所に転がり込み同棲を始める。
辻潤との赤裸々な性生活の模様なども書かれている。(激しかったらしい。)
辻潤と共同でアメリカの女性解放書の翻訳を出す。
アナーキストの大杉栄が彼女の才能を認め訪ねてくる。彼女を雑誌”青鞜”の編集室に紹介する。
大杉栄は大物アナーキストとして当時の女性に人気があった。
伊藤野枝は大杉栄に認められたことで舞い上がってしまう。
”青鞜”は平塚らいてうが主宰した女性月刊誌で女性に対する様々な不公平(参政権がない、政治活動が出来ない、女性にだけ姦通罪がある。貞操、堕胎、売娼などの問題)を取り上げ論じた。
創刊号の巻頭に平塚らいてうの有名な言葉がある。”原始、女性は太陽であった”
青鞜には平塚らいてう、野上八重子、与謝野晶子、森しげ子、神近市子、岡本かの子などがかかわった。
平塚らいてうが年下の若い愛人と同棲をはじめて、青鞜を続けることが困難になったため、後を伊藤野枝にゆずる。


テレビではがさつで無頓着な女としての伊藤野枝の話が色々出ていた。
 人を招待して食事を出したとき金だらいですき焼きをしたという話や、当時辻潤のと間に子供があったが青鞜の編集室に子供づれで行き、おしめを洗わず絞っただけで編集室に干したり、ウンチを窓の外に捨てたりしたため臭くてたまらないので編集員がおしめを洗ったというような話があった。
 
伊藤野枝は青鞜を引き継いだ後、編集方針を変えすべての規則をなくし、それまで女流作家のための雑誌であったものを一般女性に開放した。
創刊以来の人物とは様々に衝突し、彼女らは次々に去っていった。
とくに平塚らいてうが手を退いたことで資金的にも困窮し、数年で廃刊に追い込まれる。
しかし伊藤野枝はたくさんの本を出版している。

伊藤野枝は大杉栄に惹かれ、結局辻潤の元を出ていく。
大杉栄は当時結婚した妻がありそのうえ神近市子を愛人としていた。伊藤野枝はその中に入っていった。
大杉栄はそのような関係を「自由恋愛論」という理屈で彼女らを言いくるめていた。
そして有名な”日蔭茶屋事件”が起きる。
日蔭茶屋事件とは日蔭茶屋に大杉栄と伊藤野枝がいたとき神近市子が現れて大杉栄を刺し重傷をおわせた事件だ。
神近市子は殺人未遂で服役するが、戦後衆議院議員に当選し活動する。

この本の主要な内容はこの日蔭茶屋事件となっている。
私がこの本を読んだときは神近市子も平塚らいてうもまだ存命だった。

大杉栄は妻と離婚し伊藤野枝と生活する。
大杉栄はアナーキスト(無政府主義者)の大物として常に公安の刑事に監視されていた。
そのため刑事とも仲良くなり引っ越しの手伝いなどさせている。

伊藤野枝が大杉栄との間に5人(4人?)の子供があるが、子育てらしい子育てはしなかったようだ。(常に回りが面倒を見ている。)
子供達には変わった名前を付けている。(魔子、エマ、ルイズ、ネストルなど)

関東大震災直後の混乱の中で憲兵隊に連行され、その日のうちに拷問されて殺される。
テレビでも2人が憲兵隊に殺された話が出てくるが、実はもう一人一緒に殺されている。
大杉栄の妹の子すなわち甥っ子で当時6歳だった。たまたま2人と一緒だったため一緒に連行されて殺されている。
3人とも激しい拷問を受けて殺され、遺体は全裸にされて古井戸に投げ込まれ埋められている。

3人を殺したとされる憲兵隊の甘粕正彦大尉は事件発覚後服役するが3年もしないうちに出獄し、満州へ渡り特殊工作員として様々な事件に暗躍する。
しかし戦後自殺する。

伊藤野枝は享年28歳で子供たちは一番上が6歳で一番下は生まれたばかりだった。子供たちは親類や祖父母に育てられた。
子供たちはすべて改名している。

この本に出てくる色々な人物の”その後”にも大変興味がある。


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