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2018年03月27日17:18

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主よ、わたしを平和の道具として下さい

クリント・イーストウッド監督の最新作「15時17分、パリ行き」を観た。
アムステルダム発パリ行きの高速鉄道タリス車内で、武装したイスラム過激派の男が自動小銃を発砲。たまたま旅行中で乗り合わせていた幼なじみの若者3人が、テロリストに立ち向かう実話。

15時17分、パリ行き
http://wwws.warnerbros.co.jp/1517toparis/   

事件当時学生だったアンソニー・サドラー、元米空軍上等空兵のスペンサー・ストーン、元オレゴン州州兵のアレク・スカラトスの3人は、テロリストに勇敢に立ち向かい、一夜にしてヒーローとなった。映画ではかつて「問題児」とレッテルを貼られ辛い経験を共有した3人がその後数奇な運命に導かれてテロと対峙する姿が描かれるのだが、3人を演じるのはなんと当事者の本人たち!というサプライズ。

イーストウッド監督はこの映画を作るにあたり当然本人たちに取材を重ねたが、彼らの容姿がとても特徴的であったことから、俳優を立てるよりいっそ本人たちが自分を演じるほうがリアリティが伝わるのではないかと思ったそうだ。
とはいえ素人に演技が務まるのかという先入観は全く杞憂に終わるほど3人とも好演していた。監督の演技指導が素晴らしかったのかもしれないし、彼らが実体験を反芻していく映画だから演技をつけ足す必要がなかったのかもしれないが。
ラストで彼らがオランド首相から勲章を授与されるシーンは実際の映像を用いているが、着ている服も同じだし全く違和感がなかった。

イーストウッドの前作は「アメリカン・スナイパー」(実話)で、こちらも実際の映像が多く用いられとてもリアリティーがあった。今作もこの映画と同シリーズを見ているような気持ちになった。もちろん「アメリカン・スナイパー」のほうは、主人公のブラッドリー・クーパーがまさに本人のように演じたのが素晴らしかったのだが。

齢85歳のクリント・イーストウッドが、ばりばりの現役監督として、ライフワークである戦争、移民、テロの問題をタイムリーに世に問い続けるその活力には脱帽する。

映画「15時17分、パリ行き」で、主演の3人は幼少のころつらい体験をしているが、とりわけ彼らの母親が学校に呼び出され、「おたくの息子は出来が悪い」とか「ADHD(多動)だから薬を飲んだほうがいい」と教師に断言される場面に、同じ母としてすごく共感を覚えた。

最も印象に残っているシーンがある。

幼いころのスペンサー・ストーン。一人っ子で母親はシングルマザー。学校に馴染めず転校するが転校先のミッションスクールでも劣等生。サバゲー好きが高じて近所迷惑も連発、それを家庭のせいだと周囲に責められ、それでも愛情深く我が子を見守ってきた母だったがその母がついにキレる。「あんたはなんでそんなに問題ばかり起こすの?私を悲しませることばかりするの?もうやってられんわ!」と。その時の母親の心境に私はとても共感できた。と同時に自分が子どものときに持った感情(親をひどく落胆させてしまった悲しみや、なんでわかってくれないんだという怒り)も思い出した。

母親がドアをバーンと閉めて行ったあとのやるせなさ。自室で自分に向き合う彼はある祈りの言葉をとなえる。
「主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください・・・・」

それは*「聖フランシスコの平和の祈り」という有名な祈祷文らしい。とても象徴的で心を打つ言葉だ。

「主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください。
憎しみのある所に、愛を置かせてください。
侮辱のある所に、許しを置かせてください。
分裂のある所に、和合を置かせてください。
誤りのある所に、真実を置かせてください。
疑いのある所に、信頼を置かせてください。
絶望のある所に、希望を置かせてください。
闇のある所に、あなたの光を置かせてください。
悲しみのある所に、喜びを置かせてください。

主よ、慰められるよりも慰め、理解されるより理解し、
愛されるよりも愛することを求めさせてください。
なぜならば、与えることで人は受け取り、忘れられることで人は見出し、
許すことで人は許され、死ぬことで人は永遠の命に復活するからです。」

ストーンはのちのインタヴューで「僕はこの映画で自分の中にある不安と向き合うことができた。事件発生時に立ち戻り事件の恐怖を忘れておびえることなく過ごすことを学んだよ」と本作に出演した“効能”を語っている。
また、「もし誰かが今、あまりハッピーに感じられない場所にいたとしても、少なくとも今やっていることを形にすることはできる。『大小に関わらず、今自分がやっていることはいずれ何かのためになる。無駄になんかならない』と信じることでね。何が起きるか、スキルや経験がいつ必要になるかは決してわからないんだ」とも言っている。

一方サドラーは、「観客には、僕たちが3人の普通の男たちであると伝わるように期待している。自分たちの中に何か特別なものを持っているのは僕らだけじゃない。人々が、僕ら全員もしくは誰か1人に自分を重ねて、その中に彼ら自身を見つけてもらえるといいね。それとまた、僕らがしたことからインスピレーションを得て、自分たちの人生の障害を乗り越え、自分たちにも特別なことができると知ってもらえることを期待している」と言っている。


*聖フランシスコの平和の祈り
13世紀にイタリア半島で活動したフランシスコ会の創設者、アッシジのフランチェスコ(聖フランシスコ)に由来するとされた祈祷文。実際にはフランシスコの作ではないが、そのように広く信じられて愛唱されており、マザー・テレサやヨハネ・パウロ2世、マーガレット・サッチャーなど著名な宗教家や政治家が演説の中で引用や朗誦を行い、公共の場で聴衆と共に唱和するなどして有名。



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