最近痛感していることのひとつで、食生活にはずいぶんと贅沢になり、お腹が空いたなあと自覚したときについついご飯を食べてしまい、かなり自堕落な生活になったなあと、そう感じている。
特に日本では梅干しさえあればご飯をどんぶりいっぱい食うものだから、これがいけない。
メタボまっしぐら。
話がとぶけれど、タイでたべる白米はほんとにまずいと思う。
気候が自分の気持ちをそうさせるのか、それとも品種の差なのか、それはわからないが、タイで食べる白米はほんとうにまずいのだ。
でも時々どうしても白米が食べたくなって、タイのセブンなどで最近売られているおにぎりなどを買ってみるのだが、これが輪をかけてまずい。
ごはんにキャラメルの汁をかけたように甘いおにぎりなのだ。
おまけに粒のひとつひとつがまるで発泡スチロールクズを食べているかのようにカツカツして味気ない。
これがおにぎりだと思って食べているタイ人が気の毒でしかたないくらいだ。
それにくらべて、日本で食べる白米はなぜか美味い。
お腹がすいたら、あのふりかけで食べようだとか、あの梅干しで食べようだとか、白米があるだけでウキウキしてしまうぐらい。
最近はまっているのはダイソーで売られている「ちりめん山椒」。
これはやばい。
魚を醤油につけた香ばしさに山椒の風味が生きていて、これがふりかけてあると、なんぼでも食べられる。
ふつう、どんなふりかけにせよ、どんなおかずにせよ、三日も食べれば飽きるものだが、このちりめん山椒に限って言えば、毎日続いていても飽きないのだ。
ダイソーの魔力のかかった商品のひとつだと思う。
不思議。
まあ、ここではちりめん山椒の話がしたいわけではなくて、自分の食生活の話。
浮浪児をしているころは、2−3日食べられないことはままあって、それが普通だと思っていたし、特段それが苦痛だと思うようなことはなかった。
どうしてもお腹が空いたときは、街に出て、どこかの店の手伝いをしたら、一食ぐらいは食わせてもらえたし、そんなに危機感も感じなかった。
まあ手伝いとはいっても、小学生のやることだから、店の人にとっては邪魔でしかなかっただろうし、
「・・へんなのがきてしもうたなあ」
という感慨が正直なところだったのだろうが。
でもあれから40年近くたって、社会はずいぶん便利になり、自分はずいぶんだらしなくなってしまった。
当時もポテトチップスは大好物だったが、あれは今でもそんなに値段が変わらないなんて、ほんと奇跡を見るようですよ。
味噌汁なんて昔は粉末だったけれど、今は練り状のものが風味そのままで味わえる。
米なんて、昔は磨いで釜にひたし、火加減に気を遣いながら炊いたものだが、今はそのへんに売られている電気釜に入れ、磨がずにそのまま無洗米として炊けるのですよ。
おまけに最近の電気釜は無洗米設定までがあって、これがまたプロの炊いた米とそんなに変わらない味まで近づけるんです。
しかしお焦げの白米だけは土鍋にかなわないなあと思う。
白米マニアの自分としては、土鍋で炊き上げた白米こそが白眉だと思う。
あれで炊き上げたら、ほんのりお焦げがついて、それをほうじ茶などで茶漬けにすると、気が狂うくらいうまいのですよ。
まあでも、めんどくさくて家じゃやらないが。
だから時折いまでも、土鍋背負って山に行き、月明かりのもと、土鍋の白米と味噌汁を食べてみたいなと
そんなことを思っている今日この頃です。
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