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2017年02月01日23:32

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エゴンシーレ 死と乙女

エゴン・シーレを初めて知ったのは高校のとき。グスタフ・クリムトとエゴン・シーレの展覧会を見に行った時だったと思う。

そのとき以来クリムトは好きな画家だが、シーレは一言でいうと「エグい」というか「グロい」というか。モデルの姿態も彩色もあまりに過激で醜く、10代の私には理解できないものだった。
しかしそれゆえウイーンの世紀末芸術を代表する画家として強く印象に残った。

その後何度となく彼の作品は見ているが、その癖のある描線とアクロバティックに折れ曲がった姿態、むき出しの性器や男女の性行為の図など、本当に個性的で才能にあふれていると思うが好きではない。

さて、その作風からシーレの生涯はさぞ淫らなものであったと想像していたが、映画を見て少し見方が変わった。彼の芸術への情熱はとても純粋なものであったことは確か。しかし芸術のためとはいえ彼は多くのスキャンダルを起こし、周りの人間(とくに多くの女性)を巻き込み犠牲にした。悪気はなかったにせよ常に公序良俗に反した問題人間だった。

シーレの絵の才能は小さいころより周囲に認められおり、芸術家への理想を抱いてウィーン美術アカデミーへ入学するも、アカデミーの旧態依然とした芸術観に価値を見いだせず退学する。彼に退校を薦めたのは工芸学校時代の先輩であるクリムトであった。クリムトは熱心に芸術を追究する若いシーレを気に入り、金銭的にもあれこれと援助をした。やがてシーレはクリムトのモデルであったヴァリと恋仲になる。

彼はクリムトを通じてゴッホの存在を知り、自分が生まれた年に亡くなったこの偉大な画家の作品に運命を感じた。シーレはゴッホの「向日葵」に強く感銘を受け、自身も同様に向日葵をモチーフにした作品を残している。
またエドヴァルド・ムンクやヤン・トーロップといったドイツ表現主義の画家からも影響を受けている。

精力的に作品を制作するシーレだったが時代は第一次世界大戦へ。結婚して3日しか経っていなかった24歳のシーレも、オーストリア=ハンガリー軍へ召集される。が彼が画家であったため軍はシーレら芸術家を尊重し戦線へは送り出さなかったそうだ。

貧しいながらも熱心に自分の作風を追及しつづけてきたシーレは、戦争が終わってクリムトたちと開催したウイーン分離派の展覧会が大成功をおさめ画家として念願の大きな一歩を踏みだす。

が妻のエーディトが当時流行していたスペイン風邪に罹り、お腹にシーレの子を宿したまま亡くなってしまう。シーレも同じスペイン風邪に罹り、28歳の短い生涯を閉じる。

この映画で、エゴンシーレにとって「永遠の女性」とは妻のエーディトではなくヴァリという女性だとわかる。彼女とエゴンはクリムトを通じて運命的に出会い一緒に暮らし始めるがエゴンが別の裕福な家の娘エーディトとの結婚を選んだことで破局し、その後彼女は悲運をたどる。
ヴァリは未練を断ち切って彼から離れ従軍看護婦となるが戦地で病に倒れ帰らぬ人となる。

エゴンはヴァリの訃報を受けて、彼女と暮らした最後の夜に描いた大作「男と乙女」という作品を「死と乙女」という題名に書き換える。

この映画ではもう一人、彼の一生を献身的に支えた女性(エゴンの実妹ゲルティ)が重要な役を担っている。
兄のエゴンに最もひどく傷つけられながらも彼に尽くし彼の芸術を深く信奉した女性、妹のゲルティ。彼女の存在があったからこそエゴンシーレは28年の短い生涯を閉じたあとも輝くことができた。

エゴンはゲルティが少女のときから彼女の裸体を描きつづけ兄妹は近親相姦の関係であったとも言われているが、二人の絆は、ゴッホと弟のテオの関係を彷彿とさせる。
ゲルティはエゴンの最大の理解者で協力者。無償の愛をただ与えつづける存在であった。

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