夕方、主人と出かけることになったある日、家を出て駅に向かって少し歩いた時に主人が言った。
「しまった、ティッシュを忘れた」
その日は寒かった。
ティッシュは必須だった。
ちょうど目の前にコンビニがあったので「そこで買えば?」と言ったものの気が変わり、その気になって店内に入ろうとした主人を私は「ちょっと待って」と思いとどまらせた。
駅前に大きなマンションができて半年。
まだ完売していないため、しょっちゅうティッシュ入りのチラシを配る人がいる。もしかしたらその人たちがまだティッシュを配ってるかも。
そう閃いたからである。
もし、いなかったら、その時は駅中にあるコンビニでティッシュを買えばいい。
我が家から駅までの間に保育園も5箇所あるが、同じ数だけコンビニもあるのだし。
呆れる主人をなだめ、すかし、諭し、脅し、駅通りに出るとティッシュ配りの女の子がいた。
ほーらね!
ほーらね!
私は差し出されたティッシュを有り難く、うやうやしく受け取り、勝ち誇ったように言った。
「だから言ったでしょー!」
チラシはマンションのものではなかったが、勿論そんなことはどうだっていい。
女は、特に主婦は、こんな時ちょっとばかり幸せを感じる生き物だ。
ところで、お年玉年賀ハガキは今年も切手がいくつか当たった。でも手紙を書くことがほとんどなくなって、切手は溜まる一方。
切手は明らかにポケットティッシュよりお高い。
それなのに「ラッキー・モード」になれない。
今年は切手の交換に郵便局に行く気にもなれない。(そうは言っても、その内行くけど)
ポケット・ティッシュ1つで幸せを感じる自分と、切手の「当たり」に無感動な自分は明らかにバランス感覚がおかしいよな。
そう思うが「役に立つ」「立たない」と言う視点で見れば当然だろう。
この場合に限らず私にとってポケット・ティッシュは切手より、はるかに役に立つモノなのだから。
そう、おばさんの王道は
「セコイのは恥だが、役に立つ」
それ無くしてはこれからの老後は生き残れないっ
そう思うよ。
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