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2016年11月21日05:37

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他人の秘密・自分の秘密の区別が出来ない人。



わざわざいわなくてもいいことだが、自分の秘密はあれとして、他人の秘密を第三者にいう必要はない。

でもこの区別がときどきつかない人がいて、つきあいがなくなったとたん、今まで友達だった人のプライベートを、べらべら他人にしゃべる人がいる。

ぼくであっても、何万人もフォロワーを抱えるようになって、二桁くらい友人が増え、相談事なども自然にくるようになり、人のプライバシーに否が応でも触れるようになったが、そんなこと他の人に対してしゃべるようなことはしないし

共通の友人に聞かれても

「・・ぼくのプライバシーじゃ無くて彼のプライバシーだから」

と答えざるをえない。

というか、無事にさえやってくれていたら、知り合いの人生にあまり関心がないし、第一にぼくは男として他人の人生に興味を持ちすぎるのははずかしいことだと思っている。

そんなことよりもぼくは、アマゾンに今日はどんな本が特売がされているかとか、スラムの子供達に次はどんな絵本を買えばいいかとか、次の遠出はどこにしようかとか、そんなことばかりを考えているほうが楽しいし、ほかのことを考える余裕がない。

人のことに興味をもちすぎる人たちのことを考えて見ると、たぶん彼らは自分の人生に退屈しすぎていて、自分自身への興味を失っているのだろう。

だからそういう人たちの脳は共通して

「・・なんか楽しいことないかな?」

なのだ。

じっさい口にだしてそういう人までいる。

ぼくからいわせれば人生はその気になれば、楽しい事ばかりだ。

一寸の虫であっても、それについて調べるのは楽しい。

そこらへんに建ててある祠であっても、それの由緒を調べるのは楽しい。

辻に立つお地蔵さんであっても、彼に願いを手向けたであろう、江戸時代の人たちを想像するのは楽しい。

見知らぬ土地に立って、思いを馳せている町娘に対してどうやって告白しようかと考えている簪職人、

心中とはうらはらに国抜けを犯した咎人に罰を与えざるをえない奉行所役人。

そんな人あんな人を考えながら、見知らぬ土地を歩くのは楽しい。

妄想と言われてもかまわない。ぼくにとってはそんなあれやこれやが楽しくて幸せなのである。

自分の人生が楽しくない人、もしくは幸せで無い人は、本人は無自覚ながら、知人や知り合いの人生に興味を持ちすぎる。

とくに人のプライバシーをあれやこれや他人に吹聴する人はほんとうに迷惑だ。

こういうのは実際そこらへんに住んでいるおしゃべりなおばさんだけではなくて、男にも多いので、理解に苦しんでいる。

他人の人生に介入しても、自分の人生が豊かになるわけではないのに。
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