mixiユーザー(id:22841595)

2016年11月13日00:16

344 view

昔の自主上映 

 今日は、ヴィットリオ・デ・シーカの42回目の命日です。 
 この人は、今は専ら『ひまわり』(1970)を撮ったイタリアの映画監督として有名ですが、もちろん、それ以外にも、数多くの作品を手掛けており、映画史的には、むしろそちらの方が高く評価されています。 
 とくに、ネオレアリズモ(現実を客観的に凝視し、ドキュメンタリー風に、しかも日常的で平易な話法で描写するムーヴメント)の担い手としての評価は高く、『靴みがき』(1946)、『自転車泥棒』(1948)は、この分野の名作として、いずれもアカデミー外国語映画賞を受賞しています。 
 余談ですが、エットーレ・スコラ監督の『あんなに愛しあったのに』(1974)には、『自転車泥棒』撮影時の秘話が出てきます(デ・シーカ本人も俳優として出演している作品ですから、秘話は実話と思われます)。 
 
 また、今では、すっかり日本語として定着している「終着駅」という言葉は、ネオレアリズモに行き詰まり方向転換したデ・シーカが、アメリカ人俳優のモンゴメリー・クリフトやジェニファー・ジョーンズを起用して撮った映画『終着駅』(1953)からきています(それまでは、同じ意味を表す日本語は「終点」ぐらいしかなかったそうです)。 

 もっとも、この人のお気に入りの自作は、これらの作品ではなく、『ウンベルト・D』(1951)という、ある老人の寂しい老後を描いた比較的地味な作品だったということです。 
 私は、この作品を観たことがありますが、作品を理解するには、少々若すぎたようです。今だったら、多分、身につまされるような思いで観るような気もするのですが。 
 
 ところで、私は、この作品を文京区立本駒込図書館の自主上映で観ました。 
 映画評論家の佐藤忠男さんがやって来て、上映前に少し解説してくれました。と言っても、この時の解説は、上述の「終着駅」の話と、『屋根』(1956)というデ・シーカの作品についてのものでした。上映前なので、ネタバレになるような話題を避けた結果だったのでしょうが、デ・シーカという人が、どんな作品を撮っていたのかを知る上で、大変参考になるお話でした。 
 
 それにしても、昔の自主上映は、いい仕事をしてくれていたものだと、つくづく思います。 
 まだビデオやDVDが普及する前だったということもあるのでしょうが、多少画面は小さくなっても、ちゃんとフィルムを映写機にかけた映像を見せてくれましたし、無料であることも珍しくありませんでした。しかも、上映作品も、決してお子様向け作品やありふれたものに限らず、上述の『ウンベルト・D』のような、かなり渋い作品、レアな作品も上映してました。 
 当時はまだ情報誌『ぴあ』が健在でしたから、隔週毎に発刊される同誌を買って仕入れた情報を基にして、様々な会場を巡り歩き、映画を観まくったものです。図書館、公会堂といった所が多かったですが、普段はコンサートや講演会等に使われている施設であったりすることもありました。 
 そこに、上述の佐藤忠男さんのように解説を付けにやって来てくれる人も時々いて、本当の映画館で映画だけ観て帰るよりはるかにお得感もありました。 
 例えば、リリアン・ギッシュという無声映画時代の大女優が健在だった頃には、浅草の雷5656会館というホールで、彼女が出演した映画の特集上映があったのですが、そのときには淀川長治さんが来られましたし、目黒区公会堂で、『十二人の怒れる男たち』(1957)を観た時には、筑紫哲也さんの講演がありました。また、以前こちらの日記(http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1696428369&owner_id=22841595)でも触れたように、駒場エミナースで「悲愁」(1979)を観た時は、水野春郎さんがいい解説を付けてくださいました。 
 
 でも、こうして振り返ってみると、多くの方が既に故人になっており、生き残っているのは、佐藤忠男さんぐらいなものですね。新しい人は現れてはいるのでしょうが、ビデオやDVDが普及した今日では、需要そのものが低くなり、あまり彼らの出番はないように見えます。時の流れを感じてしまいます。 
 
 昔の自主上映に関して、一つだけ難点を言えば、とくにパイプ椅子で、座席が設けられている場合、前後で高低差がないため、後ろの方の席に座ってしまうと、画面が非常に見にくくなるということがありました。そこで、できるだけ前の方の席を確保すべく、早くから並んで、結構長時間待ったりしたものですが、これも今となっては懐かしい思い出になってます。  
7 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する