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2016年11月14日19:04

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襲い来る虚無感のなかであっても

最近、身近な友人の多くに不幸が重なっている。

とある友人などは先日自殺未遂を起こしてしまって、ためいきをつく思いがしている。

でも自分はそんな友人をせめる気がおきない。

この世の中は一言で言うと虚無感との戦いだ。

自分の人生も「死んだ方がましだ」と思えるような経験でなりたっている。

定時制高校の頃。

身寄りのいない自分は、アパートの一軒さえ借りられなかった。

だから仕方なく友人の家を泊まり歩いたりしていたが、何日もすると、お客様あつかいはされなくなるものだ、しばらくしてそこもあてにできなくなると、橋の下で寝たり、廃車置き場の廃車を寝床にしていた。

しかしそんな生活からぬけだす努力をしているつもりはあった。

当時働いていたガソリンスタンドの時給は450円。

懸命に働いても月7−8万円にしかならなかった。

昼はガソリンスタンドでオイルまみれになり、夜は定時制高校とクタクタになりながら生活していたが、そんな自分であってもアパートひとつ借りられないこの世というものに心底嫌気がさしていた。

アパートを借りるのには保証人がいる。

身寄りの無い自分アパートは借りられないのだ。

そんなおりに、寒い時期とうとう肺炎を患った。

もともと喘息という持病があったのだが、それをこじらせてしまった。

世の中にさまざまな病苦があると思うが、自分はこの世で息ができない苦しみほど辛いものはないと思っている。

ヒューヒューと鳴る、ストローのようなせまい気道。
吐く息、吸う息にひとつひとつ全力をかけないと呼吸ができないのだ。

そんな発作の中、むねをかきむしりたくなる衝動に耐えて、ひたすら呼吸がおちつくのを待つ。

失神する事もしばしばだった。

そんな生活が続き悟った事がひとつある。

こちらから死を望まなくとも、死は確実にむこうからやってくる。

時間の流れとはありがたいもので、今は魔法のような薬が開発されて、「やばいな」と思ったときそれを吸入すれば、あのときのような断末魔の苦しみからは解放される。

今の自分に

「すべてが無くなったときに、必要なもの1つだけ残してやるといわれれば、何をとりますか?」

と聞かれたら、自分はお金でも家でもなく、その薬が入った薬箱と答えるだろう。

飢えと病苦こそは、あらゆる理屈を越えた絶対苦であると自分は今でも思う。

飢えは数日であればごまかしが聞く、痛みも神経をそらすことができれば、麻痺にちかい感覚でごまかすことができる。

しかし息のできない苦しみは、まったくごまかしのできない最悪なものだ。

飢えや病苦から逃れ得る人間はこの世にいない。

世の中には幸せは数あれど、それは最終的に襲い来る飢えや死の病からはとうぜん劣後する。

周囲の友人に、最近不幸が重なっているという話題から、ずいぶんそれてしまったが、自分とてそんな経験をしているので、彼らが自殺未遂を起こしてしまっても、責める気にはなれない。

ただ自分の場合漠然と、自分に哀れみはかけたくない、そう思っている。

そして、いつか自分が使っているようなこんな素晴らしい薬、こんな素晴らしい薬を、自分が接している子供達が作ってくれる世の中がくるのではないか、そんな淡い期待もある。

結核や天然痘さえ、人類は克服できたでは無いか。

いつかは開発されるかもしれない。友人を襲ううつ病や、依存症、そんな病でさえ、ピタリと治してしまうような、そんな薬。

スラムでは子供達の顔をみながら、いつかくる未来に望みをつないでいる。
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