題名:脳が壊れた[読書日記600]
編者:鈴木 大介(すずき・だいすけ)
出版:新潮新書
価格:760円+税(2016年7月2刷)
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新聞の書評で見つけた本です。
本屋に行ったら、帯に養老孟司さんの推薦文があったので、すぐに買いました。
養老先生の推薦文を引用します。
“一気に読んだ。
「人が変わること」とは「脳が変わること」。
その脳の変化を当事者が記録した、貴重なドキュメントである。ここまで克明に記録できたのは、これまでの取材、執筆経験の賜物だろう。
脳が壊れた、と聞くと普通の人は悪い印象を受けるかもしれないが、必ずしもそうではない。
読後感が明るいところもまた本書の貴重なところだろう。脳梗塞が、著者にとっては人生の修正につながった。
「病気のせい」でものごとが悪くなるのでなく、「病気のおかげ」で結果オーライになることもあるのだ”
ここにある“これまでの取材、執筆経験の賜物だろう”とは、著者がルポライターで、しかも取材対象として精神疾患や情緒障害方面などの人たちと会っていたことを指します。
著者は、自分の脳梗塞を発症した自分とかつて取材した「脳が壊れた」人たちとの共通点を次のように書いています。
“原因が脳梗塞だろうと何だろうと、結果として「脳が壊れた」(機能を阻害された)状態になっているならば、出てくる障害や当事者感覚には多くの共通性や類似性があるようなのです。(9p)
そんなかつての取材対象者たちを思い浮かべると同時に、僕は猛烈な後悔に襲われることになりました。
というのも、「その辛さ」は健常だった僕が想像していたものよりも遥かに大きく、長引くもので、取材記者としての僕は本当にそれを「分かった振りをしてきただけ」だったということに気づかされたのです”(9p)
次のようにも書いています。
“恐らく後天的な脳の機能障害である高次脳機能障害の当事者認識とは、先天的な発達障害、または精神疾患、認知症等々、大小の脳のトラブルを抱える「脳が壊れた人々」の当事者意識と、符合するのではないか。
だとすれば、これは僥倖だ。(略)
僕は記者として、初めて我が身をもってリアルな彼らの当事者意識を理解できるようになったのかもしれない”(41p)
また、「第4章 リハビリ医療のポテンシャル」では、精神的な問題を抱えた人たちへの支援には、就労支援以前に精神的なリハビリテーションが必要なのではないかと提案しています。
“(精神的な問題を抱えた)彼女のそばに、今僕を支えてくれているリハビリ医療があれば、どれだけ強力な支援となったのだろう。
孤独と混乱の中にある生活困窮者や貧困者には、この「認知のズレ」が共通して存在する。ならば彼ら彼女らに必要なのは、いち早く生産の現場に戻そうとする就業支援ではなく、医療的ケアなのではないか。
それも精神科領域ではなく、僕の受けているようなリハビリテーション医療なのではないか”(82p)
自分の仕事と重なる領域でもあり、読後感の満足度は満点でした。
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鈴木 大介(すずき・だいすけ)
1973(昭和48)年千葉県生まれ。ルポライター。
家出少女、貧困層の若者、集団詐欺など、社会からこぼれた人々を主な取材対象とする。
著書に『最貧困女子』など。またコミック『ギャングース』(原案『家のない少年たち』)ではストーリー共同制作を担当。
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