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2016年08月06日07:29

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旅行記(446:大分中西部<22>-岡城跡-)

竹田駅にてバスを降り、一直線に今日泊まる宿に向かいチェックインして荷物を預けた。
まだ時刻は16時台ということもあり、竹田市内最大の名所である岡城跡へ向かった。
 
岡城がある天神山は標高325m、南北362m, 東西2,500mと細長い台地にあるお城である。
しかし明治維新により廃城となってしまい、すべて壊されたこともあり今に残っているのは石垣だけである。
そのため、観光写真では三の丸 高石垣の写真が使われる事が多く、一目では地味というしかない場所である。
 
入場料300円を払うと、入場券の代わりに巻物状のパンフレットがもらえる。
入口の方の話によると震災の影響で立入禁止区域があるとの事。
入口からいきなりの急坂なのだが、大手門(があった場所)を過ぎると突如平場となる。
昔は御殿や櫓が立ち並んでいたのだろうと思いめぐらすことが出来るような場所が多く見られた。
 
高いところに登ってくると、先程まで麓で聞こえていた"荒城の月"の歌声が聞こえてきて、何か物悲しい雰囲気に包まれてしまう。
 
二の丸がある区画へ向けて歩いていくと、工事現場なのか被災現場なのかはわからないのだが、工事用車両が止まっていた。
見た目は震災復興というよりも、二の丸エリアの工事現場という感じであり、GW休暇中のようで作業は行われていなかった。
そのため、二の丸エリアにも簡単に入ることが出来、遠く南側に見える祖母傾連峰を眺めていた。
この二の丸エリアには瀧廉太郎の像があり、写真として有名な高石垣を見ることが出来る。
 
あらかた見終えたので帰路に就こうとしたのだが、中川覚左衛門屋敷跡という場所が異様に凝っていたので長居をしてしまった。
他のお城とは異なり、このお城は復元工事は行われていないのだが、中川覚左衛門屋敷跡は木造の床だけが復元されていた。
復元されているのが床と柱、および厠である。
何故か厠だけは"ここが厠の場所です"という説明文ではなく、しっかりと復元されていた。
厠だけ真面目に復元されているというのも、何だかおかしい感じである。
 
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旅行日:2016/05/02(Mon.)
写真: 岡城(瀧廉太郎像, 高石垣, 中川覚左衛門屋敷跡)
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