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2016年06月09日04:08

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追悼の落とし穴

 島崎藤村と有島武郎というと、前者は明治の人、後者は大正の人という感じで、年齢差が結構あるようなイメージがありますが、実際には島崎藤村が6歳年長なだけで、しかも有島武郎より20年も長く生きてます。
 実は、今日は有島武郎の93回目の命日です。情死でした。姦通罪という犯罪があった時代に人妻の波多野秋子と心中したのです。
 有島武郎といえば、既に奥さんと死に別れ、独身を貫いていた美男の人格者として知られていた作家でしたから(女性の人気が圧倒的に高かったそうです)、その死は当時の一大スキャンダルになりました。
 多くの人がいろんなことを書きました。
 嵐山光三郎さんは、そうした文章を集め、「追悼もまた文学なり」と題して、以前、教育テレビで紹介、分析していたのですが(本にもなってます)、とくに島崎藤村が書いたものについては印象的な分析を行っていました。引用しますと:

 島崎藤村は『女性改造』の巻頭に「有島武郎君の恋愛関係」という追悼を寄せましたが、情死の是非に関しては逃げて、判断をさけました。そのうえで、武郎の著作やホイットマン詩集を引用しつつ、武郎が「男と女と子供とが結婚という重荷から解放される時のやがて到来するのを私は予感せずに居られない」と書いている部分を引用し、「この心の消息は、やがて君が最後に到達した恋愛観を語るものではなかろうか。そして、こうした恋愛観を抱くようになった君がこの世の現実にぶつかった時の感は果してどんなであったろうか」とのみ感想を寄せています。藤村は武郎の対極にいた現実主義者で、武郎の情死を理解しようとする心情はみじんもありません。藤村は武郎の上位に立ち、人生の定理を解いてみせるような態度で追悼しています。でありながら世俗的な姦夫断罪論を書けば自分の首をしめてしまいます。武郎の情死へは是非をめぐってさまざまな追悼が出て、どの追悼も感情的でありつつ純真ですが、藤村の追悼には、これ以後の藤村が進む色欲魔道が暗示されています。用心深く書いているものの、そこに本心が出ています。これが追悼の落とし穴です。
                           (「追悼もまた文学なり」P61〜62より)

 言われてみれば、藤村の文の引用部分だけを見ても、どこか木で鼻をくくったというか、奥歯に物が挟まったというか、それでいて慇懃無礼な感じだけは十分伝わってくる書き方になっているような気がします。文豪だったのかもしれないけれど、こんなふうに行間を読まれてしまう藤村という人は案外ちっぽけな人だったのかもしれません。
 ただ、その一方で、嵐山さんは、武者小路実篤についてはこう述べてます:

 こういうとき、武者小路実篤は、ノラリクラリと、追悼を書く達人です。
 「武郎さんと心中は凡(およ)そ縁のないもののような気がしている処(ところ)に、心中したと聞いてびっくりした。しかし心中したと聞いてしまってから考えると武郎さんだから心中したのだと云う気もする。…武郎さんの死は長く人々の頭にのこり、其処(そこ)に何か強い印象を人々にのこすと思う」(『改造』)
 武者小路実篤は、武郎と同じく白樺派の仲間でしたが、とぼけながらも秋子を批判することは避けています。そこには、男女の仲は当人同士にしかわからないという達観があります。
                           (「追悼もまた文学なり」P55より)

 なんか藤村のときとはエラく違いますね。素人目には、どちらも同じ男女の関係について踏み込むことを避けただけのようにも見えるのですが、一方はそれは「逃げ」であり、その後の「色欲魔道」を暗示するものと評価されるのに対し、他方は「達人」のワザであり、「達観」であると評価されているわけですから。もしかしたら、嵐山さんもまた、追悼評価の落とし穴に落ちてしまったのかも。
 でも、多分、それは違うでしょう。
 ざっくり言えば、両者の人徳が、そのまま嵐山さんの評価にも現れたものと思われます(それは両者の文体からも何となく感じられますね)。
 つくづく、徳に乏しい人間にはなりたくないものです。
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