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2016年01月16日19:02

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「法治主義」と「法の支配」

 再び藤原正彦さんの話になりますが、同氏の随筆に「苦い勝利」という作品があります(『父の威厳 数学者の意地』に収録されています)。
 この作品は、長男の修学旅行に際して、小学校側が検便の提出を求めてきたことに藤原さんが猛然と抗議して、その小学校、特に校長と揉めた顛末を描いたものです。
 どうやら、こうした検便は、今日ではほとんど意味がないものと医学的には考えられているのに、かつてこれを行うことが「望ましい」とした通知が出され、校長らがこれを墨守しようとしたために問題が起こったわけですが、事の顛末だけでなく、平和についての男女の考え方の違いや、教育に対する日本とイギリスの考え方の違い、日本人の国民性等、興味深い話がいっぱい出てきます。
 中でも、個人的に面白いと感じたのは、これは「法治主義」と「法の支配」の違いの問題でもあるな、と読めた点でした。
 「法治主義」と「法の支配」といっても、どちらも同じようなものであり、どこに違いがあるのかわからないという人が多いと思いますが、法学教育においては、両者は微妙に区別されています。
 「法治主義」は、大雑把に言えば、大陸法、とくにドイツ的な概念で、そこでは法の内容は問われません。悪法であっても、ひとたびそれが立法化されると、それに基づく統治が行われるわけです。道理で、ドイツでナチスがむちゃくちゃな法律を制定して、ほしいままに人権侵害を行うことができたわけです。
 これに対し、「法の支配」は、広義には、「人の支配」に対立する概念として、「法治主義」を含んだ意味で使われますが、狭義には、英米、とくにイギリス的な概念です。そこでは法の内容が問われ、正しくない法に対してなら、抵抗することだって許されます。
 「苦い勝利」の中では、差し詰め藤原さんが、「法の支配」(狭義)的考え方に立って、徹底抗戦したために、「法治主義」的考え方に立つ校長一派が手古摺ることになりました。
 検便の未提出者は修学旅行に参加できないのかと藤原さんが校医に問うと、校長におもねる校医は、図らずもこう答えています。
 「そういう質問をなさる前に、この日本が法治国家である以上、国や都の決めたことに従うのは、国民の当然の義務ではないでしょうか。お父様も国家公務員として、その位のことはお分かりでしょう。常識を持って行動して下さい」
 要するに、「規則だから守れ」というわけです。
 この校医のような考え方をしている日本人は、想像以上に多いような気がします。
 彼らが本当に遵法意識が高ければ、まだしも救いを感じるのですが、実態はそうでもないようです。というのは、この国では、「赤信号みんなで渡れば怖くない」といったことが簡単に起こるからです。法に反することが嫌なのではなく、みんなと違うことをするのが怖いのです。群れから離されて孤立するとパニックに陥る羊に似ています。
 それはともかく、「法治主義」の考え方がドイツで生まれ、「法の支配」(狭義)の考え方がイギリスで盛んになったのはなぜなのかを考えていくと、大変興味深く、同時にゾッとするようなものを感じてしまいます。
 まず、法の支配(狭義)の考え方がイギリスで盛んになったのは、この国が不文法(判例法)の国であったことと無関係ではないと思われます(この国には今でも日本国憲法に対応する成文法としてのイギリス憲法典というものは存在しません)。
 そこでは、既に制定された(特定の立法者の意思が反映された)法を解釈・適用するのではなく、個人の意思とは関わりなく客観的にあるべき正義の法を裁判官が発見して、これを解釈・適用することによって事件が解決されるのです。もちろん、そうした判例が積み重なったものを整理した成文法は、この国にも存在しますが、こうした事件解決法を採ると、裁判官の地位が高くなることにつながります。何しろ、裁判官は万人が従うべき客観的にあるべき正義の法を発見するところから始めなければならないわけですから、既に制定された法を解釈・適用すればよい世界とはわけが違います。したがって、イギリスでは正義、すなわち内容の正しさを問題とするのは当然のことだったのです。
 余談ですが、そうした裁判官の高い地位とこれに対する厚い信頼が反映されてのことだと思いますが、裁判所は、三権の中では最も非民主的と云われているのに、この国や米国の三権分立は立法・行政・司法が最も対等な関係にあります。また、イギリスの法廷物の映画を見ていると、しばしば18世紀とか19世紀とかというとんでもない古い時代に出された判例が引き合いに出されることがあるのも、不文法の国ならではの現象といえます。
 これに対し、「法治主義」の方は、上述のナチスの例を見ていただければ分かると思いますが、これはいわば形を変えた「人の支配」です。どうしてこんなものがドイツで生まれたかというと、この国はフランスやアメリカのような市民革命を経なかったからです。
 市民革命を経なかったということは、革命が起こっていたら駆逐されていたはずの旧勢力が生き残り、延命できたということです(第一次世界大戦当時、ドイツはまだ皇帝(旧勢力)が元首の国でした)。なぜ延命できたかといえば新勢力と妥協したからであり、「法治主義」はその妥協の産物であったと考えられます。つまり、形式的に、「人(国王や領主)の支配」から「法の支配」(広義)に改めたものの、立法に携わる議員等を引き込んで、容易にその実質を骨抜きにできる仕組みを作ってしまい、これを後年ナチスが悪用したというわけです。
 なので、法治国家というと、一見進んだ国みたいに見えるかもしれませんが、安易に「法治主義」的に「規則なんだから従え」といった言い分を受け入れてしまうと、ナチス的な良からぬ考えを持った連中にこの国が蹂躙されるおそれがあると思われます。気をつけましょう。
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