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2015年09月20日01:00

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『常識についての一考察』第3話

『常識についての一考察』第3話

 サガは異次元空間を漂っていた。上も下もなく重力もない異次元空間は、無重力の宇宙空間に似ている。その中をサガは特にどこへ向かうあてもないままさまよい続けた。
「サガ」
 名を呼ばれ、呼ばれた方向を振り向く。見ると、異次元空間にアケローオスが侵入していた。慌ててサガは方向転換し、身をひるがえして彼から逃れようとした。
「逃げるな、サガ」
 アケローオスがサガの後を追う。
「無体は真似はしない。少し話をしよう、サガ」
 呼びかけを無視して逃げようとするサガに、アケローオスが話しかける。
「サガ、おれはその気になればお前を超次元に放り込んで、おれの傍らに来なければ消滅すると言って脅すことも可能なのだぞ。だがお前にそんな真似はしたくない。頼むから、自分の意志でこちらに来てくれ、サガ」
 怯えたような視線を送るサガに、アケローオスは腕を広げてみせる。
「ほら」
 サガは立ち止まり、逃げるのをやめた。少し考えたが、やがて彼は足元の空間を蹴り、アケローオスの腕の中にと身を寄せた。
「いい子だ、サガ」
 ほっとしたようにアケローオスが息をつき、サガを抱きしめる。サガもこれ以上は逆らわなかった。アケローオスの腕の中は、サガにとってはやはり子供のころから一番安心し、身を委ねられる場所だった。
「すまない。おれが性急だった。説明が足りなかったな」
「まったくです…!」
 彼の腕の中で、怒ったようにサガが言う。
「私は、こんな女の体になってしまって、本当に困っているのです!今すぐにだって男に戻りたいのに…!なのに結婚だの、子供を産めだの…無茶苦茶です!」
「ああ。だがサガ、おれは冗談で言っているのではないぞ。本気で考えてくれないか?」
 サガの頭を撫でながらアケローオスが言う。
「サガ、もしお前がおれの求婚を受けてくれるなら、おれはゼウスに願い出て、お前に神としての地位を与えよう」
「え…?」
 サガがアケローオスを見上げる。アケローオスは優しい、だが真剣な眼差しでサガを見つめた。
「おれはお前を永遠の伴侶にしたい。お前と、永久の時間を共にしたいのだ。それほどにお前を愛している。サガ、かつてお前は神になりたいと願ったな。今はどうだ?神になりたくはないか?人々が求めてやまぬ、不老不死を得たくはないか?」
「……」
 アケローオスの手がサガの頬を撫でる。その手に自分の手を重ね、そしてサガは首を横に振った。
「アケローオス様…、昔の私なら、そのお話に飛びついていたでしょう。ですが今は…、私は人間でいたいのです。限りある、でも輝く生を、生きたいのです。仲間たちと一緒に毎日を笑って、泣いて、怒って、喜んで、精一杯に日々を過ごして…そして死んだ後は愛する地に葬られ、土に還る…そんな生き方をしたいのです。神になるということは、人としては死ぬということです。ならば私は、神にはなれません」
「そうか…」
 残念そうに言った河神に、サガは瞳を伏せた。
「すみません…。神の愛を拒むなど、私は不遜ですね」
「構わない。人間でありたいというお前の決意は、それはそれで気高いものだ。だが妃にならぬというなら、なおのこと、おれとの間に子を残すことを考えてくれないか?」
「なぜです?」
「お前がいつか死ぬからだ」
 サガの問いに、アケローオスは明快に答えた。
「人間であるということは、お前はいつかおれを置いて死ぬということだ。だがお前が死んでも子が残るなら…その子が、孫が、曽孫が、そうやって子孫が続いていくのなら…それはおれとお前の愛が永遠に残るということだ。おれたちが愛し合った証が、永遠に続くということだ」
「…愛の証が、永遠に…?」
「そうだ。それはお前と教皇の子でも同じことだ。サガ、お前は、お前と教皇の愛を永遠のものとして残したくはないか?お前と教皇が愛し合った証を、永遠にこの地上に伝えたくはないか?」
「……」
「お前たちが男同士であったうちは、子を成すなど考えもしなかったろう。だが今…お前は女になっている。お前には今の体がいとわしいのかもしれないが…しかし子を産むという能力は、女に与えられた偉大な能力なのだ。子孫を残すという行いは、神が生き物に与えた力の中で、最も尊貴で崇高なものなのだ。男と女であればこそ、子を残すことができるのだ」
「……」
「サガ、どうか考えてみてくれ。もしお前が承諾するなら、おれはハーデスに頼んでお前たちが子を残せるように計らおう」
 サガは黙ってアケローオスの体を抱きしめ返した。二人はそのまま抱き合って、しばらく異次元空間を漂った。
「しかし…」
 と、アケローオスが軽く笑う。
「女の姿になったら、ますます母親にそっくりになったな。こうしているとお前たちの母を…エルセルートを抱いていると錯覚してしまう」
 サガが少し首を傾げた。
「母のことを思い出されるのは…おつらいですか?」
「正直に言うとな。おれは彼女を幸せにしてやれなかった…。いや、彼女が不幸になるのを、防げなかった。だからこそ…お前とカノンには、幸せになって欲しいよ」
 そうしてアケローオスはサガの頭に口づけを落とした。
「教皇のところに戻ろう、サガ。お前の幸せは、あの男の傍らにあるのだから」
「はい」
 そうしてサガもアケローオスに微笑み返した。

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