なぜ君はそこにいたんだ。
つい先日、雨の降る肌寒い朝、仕事のために車をだそうとすると、となりの住人が何かを叫んだ。
何事かと思い外に出ると、車の横に猫が血まみれで横たわっていた。
猫は眼球がとびだし、血を吐いている。もうだめだ。
猫は自分の車の下、どこかに隠れていたのだ。
その猫はそれでもあがいている。前足で必死に宙をかいている。
目の前がまっくらになったような気がした。
「・・・おれはなんということをしてしまったんだ。」
後悔してももう遅い。
銀次郎だけは知っている。猫ほどやさしい生き物はいない。
銀次郎がまだ若かった頃、飼っている猫のせいでどれだけ救われたろうか。
若い頃飼っていたその猫はナンシーという。
「腹がへったな、ナンシー」
とか声をかけると必ずちかよってくる。
自分が病をえて朦朧としていると、夜を徹して自分の顔を舐めていたあの猫。
何日も食わず、体力が尽きたところに肺炎をだして、死をも覚悟したあの夜。
彼女は自分のそばから離れようとはしなかった。
猫を飼い、世話をしてみるとわかる。
動物とはいえ彼らは恩をしっかりと感じ、このうえない愛情を主人にそそぐのだ。
そんな猫を愛した自分にとって、野良猫といえど、近くで断末魔の息で途絶えようとする猫を、どうやって見守ればいいんだろう。
思わず自分の家の壁を思い切り殴る。
5分ほどしてその血まみれの猫は、やっとこときれた。
つらかったろう、しんどかったろう、いっそのこととどめをさしてやればよかったのか。
ダンボール箱にその猫の体をいれてやった。
がっくりしている自分をみて隣人がいった。
「・・どうしようもないよ、このへんは捨て猫多いから・・そういうことはたまにある・・そうやって手厚く葬っているんだから、猫はたぶん恨まないよ」
そうかな?たぶん違うだろう。自分は隣人の言葉を背中で受けながら思った。
猫は見たところ1−2ヶ月のまだおさない猫だった。
自分が猫だったらこう思う。
「・・どうして自分を捨てたんだ?しかもこんな都会に?こんな雨の降る中、どこで雨をしのげというんだ?腹がへって、ぬれて、寒い気持ちがお前らにわかるか?俺はそれでも耐えていたのに、お前達が作った鉄の乗り物で最後まで苦しみながら死んだんだ」
自分はたぶん一生この猫のことで苦しむだろう。
しかし、この猫を捨てた人物も、どこかにいる。
その人物は今どうしているだろうか。
猫を捨てた当日は罪悪感に苛まれているかもしれないが
2−3日たって、ジュースを飲みながら、映画を観ているころには、この猫のことなど頭から離れているに違いない。
自分はその人物にいいたい。
「お前の代わりに俺はこの猫を殺したんだ」
捨て猫で幸せに寿命をまっとうする猫などほとんどいない。
このへんでいえば、車にひかれるか、カラスの餌になるかが関の山だ
捨てた奴、きけ、俺はお前の代わりに猫を殺してやったんだ
猫を殺した俺はとうぜん幸せな死に方はしないだろうが、お前もまた幸せな死に方はすまい。
来世こそお前は猫になり、車にひかれてみるがいい。
自分は猫を近くの土手で埋め葬ると、猫が死んだ場所に花をそえた。
こんなことぐらいで天国へあの猫が行けるわけはないが、恨むなら恨んでよい。
せめて自分が言えることは、次の世で猫に生まれ、飢え、震え、そして車にひかれても、決して恨むまい。
雨の降りしきる中、自分は花に向かってそう念じた。
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