人は若い時に思想のはしかのようなものにかかる時期があると思う。
そんな時期は年をとると恥ずかしくなるものであるが、自分の場合それは高校生のころ。
ふととある戦争映画をみて衝撃をうけた
このドイツ軍のかっこよさはどうだろう
制服の美しさはなんだ。
武器の強さはどうだ。
図書館で親衛隊将校ヨーヘンバイパーの伝記を読んでそれは決定的となった。
当時自分の友人、あるものは歌謡曲、あるものはバイク、あるものはバンドにとりつかれていたが、自分は完全にドイツ軍にかぶれてしまった。
自分はさっそく高校の友達と示し合わせて武装親衛隊を編成することにした。
名付けてヒロシマ・ライプシュタンダーテ・第一SS装甲師団。
通信販売でドイツ軍の制服を着た一団、5−6人がヒロシマの田舎を歩く姿はさぞかし異様だったろう。
自分は定時制高校にかよっていたがドイツ軍にかぶれていたときはろくに授業にでていなかった。
学校裏の山でサバイバルゲームに精をだしていたのだ。
戦場は主に夜の墓場だった。
しかし自分たちにとってはそこはベルリン市街。
そこで自分たちは交互にドイツ軍役と赤軍側に別れてサバイバルゲームをしていた。
「・・側面を見せているなイワン、それでは教育してやるか・・!」
赤軍役は自分に襲われると叫ぶ
「3時方向・・ゲルマンスキー!ゲルマンスキー!!」
自分たちは墓を楯にしながらゲームをやっていたので今考えれば罰当たりなことだったと思う。
昼にそなえられたのであろう菊が見るも無惨にBB弾で散っていくさまは特にスローモーションにも見え美しく見えた。
赤軍役はカチューシャ砲としてロケット花火を使うことが許されていたのでときどきは墓石を楯にしていても頭上から敵弾に見舞われることがあった。
敵はそのロケット花火を連射してくる。
シュ!シュッシュシュシュッシュッシュッ!
頭上でパンパンと閃光を放ちながら炸裂する。
「・・ひけ!ライヒスターク(国会議事堂)までひけ!」
号令すると仲間が国会議事堂と銘打った掃除小屋まで引き揚げる。
血路を開いて生き延びようとする仲間の時間稼ぎのため爆竹をだきながら赤軍に突撃する戦友もあった。
「・・ハイルヒトラー!!」
パン!パパン!パン!パン!
火薬の量をました特製爆竹だったので結構な迫力があった。
自分たちはこれを
パンツァーファウストと呼んでいた。
ともあれ自分たちは撤退しつつそのカメラード(友人)に敬礼をし勇者を称えた。
次の戦場は国会議事堂である。
「ここの通行税は高くつくぞイワン!!」
掃除小屋の天井からBB弾を敵に浴びせる。
赤軍役の友人Mが叫ぶ
「・・ずるいぞ銀次郎!お前何回死んどんじゃあ・・!」
「・・・やかましい!俺は新手のSS大隊じゃあ!!」
しかしシナリオ的には史実と同じく国会議事堂は赤軍に占領されるものときまっていたので最終的にはひきずり下ろされた。
もはや皆エキサイトして実際の白兵戦と同じである。
あれからもう30年の時が経つ。
昨日部屋を掃除していて出てきた軍服を見てそんなことを思い出した。
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