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2015年01月23日07:08

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鶏肋(けいろく)の故事の産みの親

 クラシックの指揮者にとっては、クラシックの本場ドイツ(とクラシック関係者の多くは言う)のトップ・オーケストラであるベルリン・フィルの指揮台に立ってタクトを振ることができることは非常に名誉なこととされています。
 このベルリン・フィルに常任指揮者として長年君臨したのが、帝王の異名をとるヘルベルト・フォン・カラヤンでした。多分、あまりクラシックを聴かない人でも、カラヤンという名前くらいは聞いたことがあるでしょう。それくらいの有名人カラヤンについて、中野雄氏は、「クラシックCDの名盤」(文春新書)にこんなことを書いています。

 「バーンスタインがベルリン・フィルに登場した翌週、常任のカラヤンが指揮台に立った。自分のオーケストラがいつになくよく鳴る。『私の前には誰が振ったんだ』と帝王。『バーンスタインです』と誰かが答える。一瞬面白くない表情をした彼は、『そうか。彼は練習指揮者としてはいい腕してるんだな』と、わざとらしい冗談でその場を胡麻化したという。カラヤンは二度とバーンスタインを同じ指揮台には立たせなかった。」

 カラヤンとバーンスタインは、お互いを認め合っていたという文献もあるので、中野氏の書いたことが、どこまで本当のことかは分かりませんが、活字になることを知りつつ書いたわけですから、中野氏なりに相当の根拠はあったのでしょう。少なくとも、バーンスタインがベルリン・フィルの指揮台に一度しか立っていないのは事実です。
 ちなみに、そのたった一度の機会にバーンスタインが振ったマーラーの交響曲第9番はCD化され、名盤と評価する人が多いです。
https://www.youtube.com/watch?v=ah3mcaRpc9Q

 それはさておき、中野氏が書いたことは、鶏肋の故事を想起させるものがあります。
 鶏肋というのは、中国の四大奇書の一つである「三国志演義」で専ら悪役として描かれている曹操(そうそう 魏の基礎を作った武将、政治家)に由来する故事です。
 曹操がある戦いで苦戦し、このまま戦い続けても負ける心配はないが勝算もなく、かといって都へ引き返せば笑いものになるのでどうしようかと進退を考えあぐねながら食事をしていたときのことでした。メニューは大好きな鶏のスープであり、ちょうど鶏の肋(あばら)の肉を食べていたところへ大将の一人がおふれを聞きに来たため、食事に熱中していた曹操は、思わず「鶏肋」と答えてしまいました。
 大将は鶏肋の意味が分かりませんでしたが、そのままわけも分からず「鶏肋、鶏肋」とふれて回りました。もちろん、誰も意味を理解できなかったのですが、ただ一人、「近々、陣払いされそうなので荷物をまとめておくように」と自分の部下に命じた書記がいました。
 この書記は、「鶏の肋というのは、肉はないが、しゃぶっていれば味わいのあるものである。捨てるに忍びないところが目前の敵と同じ。しかし長期戦では食料不足になるため近いうちに陣払いがされる。」と読んだのでした。
 自分の心をあまりにも的確に言い当てられた曹操は恐ろしくなって、なんとこの書記を処刑したということです。
 ここから、「鶏肋」には、「主を越える才は身を滅ぼす」ということと、「才人、才に滅ぶ」ことを戒めている点があると云われています。

 鶏肋の故事は、曹操の冷酷さ、残忍さを物語る話として、「三国志演義」に出てくるのですが、ただ、小説「三国志演義」を読み応えのある面白いものにしているのは、ほかならぬこの曹操であろうと思います。
 なんだかんだと言いながらも、取りあえず70年間も戦争していない平和なこの国の現実からは考えられないくらい、裏切りや人殺しが日常茶飯事だったとんでもない乱世が舞台なので、悪役たちも大いに活躍しがいがあり、「三国志演義」では、どの悪役も活き活きと描かれているのですが、中でも曹操の悪役ぶりは、古今東西これを凌ぐ者はちょっといないだろうと思われるくらい見事なものです。
 これくらいしっかりした悪役がいたからこそ、曹操に立ち向かう諸葛孔明や関羽等の英雄、豪傑の輝きが増すのです。簡単にやっつけられてしまうような悪役に一泡吹かせたって、誰も後世に語り継がれるほどの英雄とまでは思わないですからね。
 優れた悪役が曹操に務まっているのは、曹操には、それなりに上に立つ者の器量が備わっていたからです。
 「三国志演義」の中には、誰もが超一級の武人と認める関羽を、曹操が何とかして手懐けようとして、遂に果たせないという場面が出てきます。関羽は、よんどころない事情があって、やむを得ず一時的に曹操の家来になります。でも、主君劉備に忠実な関羽が、曹操に心から靡くことはありませんでした。そんな関羽を、曹操はそれでも決して怒らず、礼を尽くします。そればかりか、家来となる条件を解消させる事情が明らかになって関羽が堂々と自分の下を去ったときには、すぐさま関羽を追いかけて捕まえようとした家来を諌め、関羽の行く手に邪魔が入らないようにしています。義の人、関羽との約束に曹操なりの義をもって報いたわけです。
 この場面、並の悪役が演じたなら、彼にもこんなちょっといい話があったという程度の甘っちょろい話になってしまうのですが、曹操、関羽両雄の人間力が非常に高いレベルでぶつかり合っているため、素晴らしく読み応えのある場面となっており、個人的には「三国志演義」の中で、最も好きな場面です。
 小説に描かれた曹操だけでなく、正史に描かれた現実の曹操もまた、非凡な文才に溢れた才人だったということです。道理で、諸葛孔明や関羽があれだけ頑張ったにも関わらず、曹操の下には、次から次へと新たな有能な人材が集まったわけです。

 今日は、「三国志演義」で有名な稀代の悪役、曹操の1795回目の命日です。
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