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2014年09月23日12:20

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戦争を見据える

わたくしは根がマジメにできているものだから、我が国の戦争、特に太平洋戦争について書かれた本をちゃんと読まなきゃな、という想いが数年前から強くなってきている。
(ちなみに昭和2年生まれの私の父は、特攻隊の生き残りである。)
集英社が戦争をテーマにした全20巻の文学全集を出しており、焦る気持ちの命ずるままに、関心のあるテーマから順に読み進めているところだ。
その全集とは別に、大岡昇平の『野火』なんかも、そろそろ読まなきゃと思っている。

この夏、読売新聞の近藤泰年という人が若い頃に出した『釧路湿原を歩く』という本を読んで、いたく感激したのをきっかけに、彼のそれ以外の著作はないのだろうかと思って検索して出てきたのが、農文教から1992年に出た『おじいさんの戦争は終わったか』だった。
タイトルからして、青少年向けのわかりやすくて薄い本だろうと思ってさっそく図書館にアクセスしたが、区内には所蔵がないとのことで、板橋の図書館から取り寄せてもらったものを先日読み終えた。


近藤泰年氏の父上は、大正10(1921)年生まれ、昭和40年頃までずっと農業を営んでいた。
二十歳の時に徴兵検査を受け、甲種合格して内地で訓練を受け、翌年中国へ渡る。
上海ー南京ー漢口ー鷹山と移動し、上官に目をかけられたためか、満州は奉天にある憲兵隊教習所に入り、上等兵として憲兵になった。

近藤氏は、自分の子供の世代に、自分の父の世代が経験したことを伝えるために、この本を書いた。
戦争から帰って40年以上が経ち、おじいさんが孫へ伝える体験談を、新聞記者である息子が聞き取って編んだのがこの本だ。


憲兵の仕事というのは、直接の戦闘行為より、戦争を優位に進めるための現地人の取り締まり、特にスパイの摘発が中心だったそうだ。
(私はこれまで、「軍隊の中にある警察官」というイメージを持っていたが、少なくとも外地では、スパイのあぶり出しがおもな任務だったらしい。)
いるのかいないのかわからないスパイ、侵略された側が自国のために水面下で働くのは当たり前のことで、これを取り締まるなんてのはそもそも間違っている行為なのだけれど、軍隊とは命じられたことを忠実にこなす組織であるから、命令に従わないと自分が罰せられる。
それに、徴兵でとられた兵隊は、相手を蹂躙して戦争に勝つことなんかより、早いこと生きて国に帰ることだけが当座の目的なのだから、自分の中で明確な優先順位にしたがって、あとは可能な限り自分を守りつつ、命令を遂行するということになる。

おじいさん(著者の父)は、憲兵として中国に滞在する間に、見てはならない物を見、聞いてはならないことを聞き、そして平時ではやってはならないことを犯したはずだ。
おじいさんの述懐は、時にあいまいにぼかされる。
「教習隊にいるときにはな、拷問はいかんといって教えられてはいるんだが、ついでに、こういう方法もあるといって教えるんだ。まあ、自分のことは言いたくないなあ。」

敗戦直前の5月、おじいさんの部隊は、12人の現地人を「厳重処分」した。
「処分というのは、口で何か注意するなんてなまやさしいものじゃない。首を切る、拳銃で撃つ、蹴飛ばして穴に落として埋める。それが厳重処分、つまり死刑だ。裁判にかけて判断するのではない。」
「このほかにもいろんな事件があった。ごく日常的に、これが仕事だと思ってやっていた。」
「十二人というのはそれぞれが別の事件で、みんな別件逮捕だったように思う。十二人が溜まったから、ころあいとしてちょうどいいからやろうというわけだ。留置場がいっぱいになったとかな。」

この「厳重処分」が行われたころ、おじいさんは上官ともめて、仮病を使って入院していたので、結果、敗戦後の軍事裁判で同僚の憲兵5名が死刑に処せられるも、おじいさんは戦犯に問われることを免れた。

「しかし俺はやっぱり罪悪感なんてなかったし、戦犯として囚われるのが当然と考えたこともなかった。中国人に対して戦争の間に何かをしたという感覚がないんだ。だから戦犯の罪に問われるとは思いもよらない。大半は俺と同じだったと思う。」

戦時中、日本軍に協力した密偵たちがもっぱら身を潜めたのは香港だったという。
日中両軍の機密情報を握る彼らは、戦後も心休まる時はなかったろう。
そして、「叩けばほこりの出る身」であったおじいさんも、収容所を転々とした後で釈放され、日本に戻ってからも、まったく戦時中の話はせずにきた。
しかし、ふとした折に、孫を抱きながら「戦争はいかん」と呟いたそうだ。
そして、新聞記者としてキャリアを積んできた著者に、初めてその体験を語って聞かせた。

本書の終わりに、きわめて印象深いエピソードが語られる。
1989年、中国で天安門事件が起きたその時。
おじいさんが、著者に電話をかけてきた。
今の中国情勢を見るに、また自分に戦犯追及の矛先が向く恐れがある。そうすると、また逃げ回る人生をしなくてはならなくなるから、話の内容を公表するのは、俺が死んでからにしてほしいーーと。
本書のタイトル『おじいさんの戦争は終わったか』は、父上のこの言葉を聞いてからつけられたのかもしれない。

「戦争」の、いくつもの現実。
今さらだけれど、書物や映像でこれら無数の現実を見ながら、自分の中で想像力を培いたいと思う。
「戦争」に対する想像力を。
「戦争」を始めないための想像力を。

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