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2024年04月20日00:26

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キートンとロイド

 昨日までシネマヴェーラ渋谷では、“ザッツ・コメディアンズ・ワンス・モア”と銘打った企画で無声期から銀幕の世界を彩った偉大な喜劇役者たちの(ほぼ)代表作を特集上映してました。いろんな喜劇役者が登場しましたが、中でも感銘を受けたのは無声期のバスター・キートンとハロルド・ロイドでした。

 よく三大喜劇王ということが云われます。チャールス・チャップリン、バスター・キートン、ハロルド・ロイドの3人を指してこういうのですが、チャップリンがあまりにも有名なためか、キートンとロイドは残念ながら影が薄くなり、もはや名前さえ知らない人も少なくないと思います。
 でも、今回の企画では、チャップリンに比べて上映機会の少ない2人にも十分に光が当てられていたせいか、彼らの真価が少し見えてきたような気がします。

 まずは、両人の喜劇役者ぶりをハイライト的に並べるとこんな感じです。
キートン:https://www.youtube.com/watch?v=yOo_ZUVU_O8

ロイド:https://www.youtube.com/watch?v=zqzWurPE01Y

 典型的なスラップスティック・コメディです。
 チャップリンも『サーカス』(1928)までは同じような路線を歩んでいたのですが、以後、時々ペシミスティックな作品が顔を覗かせるようになり、やがて文明批評、政治批判に繋がるような大作をも生み出すようになっていきました。これらを成し遂げたところがチャップリンのスゴイところなのですが、同時にそれは下手に真似すれば、泣かせよう、感動させようという作為や一種の分別臭さを感じさせかねないものでもありました。

 これに対し、キートンとロイドは、スラップスティック・コメディに徹しました。
 キートンは無表情に(←“ストーンフェイス”と呼ばれる)命懸けのスタントを黙々と事も無げにこなしていきました。本当はすごいスタントなのですが、それらがあまりにも当たり前のように淡々と続くため、もはやすごさがすごさとして認識できないほどです。そのすごさを理解できる人だけが拍手を送るようなクロウト受けする職人芸だったといえますが、そのためか、興行収入の面では三大喜劇王の中で毎年3位でした。でも、その分、この人の芸に一旦魅了されてしまうと、思い入れはかなり強いものとなり、日本でも「キートン」を自分の芸名等にした人がいるほどです(益田喜頓、キートン山田等)。
 一方、ロイドの方は凡人が悪戦苦闘する役回りを極めました。凡人ですから、怖いと恐怖で顔は引きつり、慌てると必死の形相になる等、無表情なキートンとは対照的に実に表情豊かです。それだけに観客は強く感情移入でき、淀川長治氏は、この人の芸風を学生応援歌に例えたりしています※。
 ロイドといえばロイド眼鏡がトレードマークです。通常の眼鏡は光がレンズに反射して目の表情が映りにくくなくなるので、当時の(主役級)俳優の多くは、眼鏡をかけずにスクリーンに登場してました。でも、ロイドは喜劇俳優であることを逆手にとってレンズのない丸渕眼鏡をかけて自分を売り出すことに成功したのです。もっとも、眼鏡をかけた田舎者はイメージにそぐわないので、この人の役柄はほぼ都会人に限定されています。  
 そして、スラップスティック・コメディのコメディアンの宿命とも言えますが、ロイドも身体を張りました。当時の喜劇俳優としては大変珍しいことに、実は、ロイドにはヴォードヴィル*の経験がなく、それでありながら上掲ハイライト動画のような数々の名シーンを遺したのですから、大したものです。しかも、若い時の撮影中の事故で、この人は右手の親指と人差し指(一説には中指)を失っていたというのですから、信じられないレベルです。

 ただ、映画の特撮技術というものは当時既に意外に発達していたらしく、以前、こちらの日記(https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1974090271&owner_id=22841595)でも触れたように、チャップリンの『モダンタイムス』の有名なこのシーンでさえ、実はフェイクだったと云われているくらいです。
https://www.youtube.com/watch?v=vlMFQHbmtpg

 ロイドの上掲ハイライト動画冒頭に出てきた大時計のシーン(映画『要心無用』(1923)より)についても、その舞台裏を明かせば、次の動画にみられるようなセットが組まれていたらしく、観客が感じるほどの怖い高所で行われたものではなかったようです(それでも十分身体を張ったと言えるとは思います。全部そのままでは命、身体がもちません)。
https://www.youtube.com/watch?v=ZifbxtLXy1I&t=5s

 逆にいえば、この点、あまりそういう話を聞かないキートンはスタントマンも立てずに自ら観客が感じるシーンそのままをやることが多かったわけですから本当にスゴイです。と同時にそんなキートンの人気が全盛時でも上記のように3位で、とくにトーキー以後、比較的早く凋落していったのは本当に気の毒です。あまりにすごすぎたのでしょう。
 キートンの遺した名場面の数々は、ドリフのギャグのヒントにもなり、また『カイロの紫のバラ』(1985)のような作品でもオマージュ的に模倣されていますが(https://www.youtube.com/watch?v=DzoI6Q7l28E)、特にジャッキー・チェンはキートンに対する思い入れがことのほか強く、You Tubeにはこんな動画までありました。
https://www.youtube.com/watch?v=OucrJdgiNzw&t=71s(ロイドやチャップリンへのオマージュもありますが、キートンへのオマージュが圧倒的に多い)


 キートンとロイドのスタントには、今時のCGに頼った演出(そのすべてがダメと言う気はないですが)からは感じられない独特の緊張感、臨場感が感じられることがあります。
 最も危険な場面を生身の本人が演じなくても済むCGの場合、その安心感から生じるのであろう気の緩みみたいな空気をスクリーンから感じてしまうことがあるのですが、キートンとロイドの作品にはそれが全くありません。それでいて、ピリピリしているわけではなく(今のようなうるさい規制がなかった時代だったことが幸いしたのかもしれませんが)自分たちがこれまでの人類が誰もやらなかったことに挑戦しようとしているという誇りとわくわく感が漲っている、そんな緊張感、臨場感なのです。

 今回の企画では、見終わったときに目頭が熱くなっていたことが時々ありました。作品の内容(ストーリー)に感動して涙腺が緩んだわけではありません。キートン、ロイドそれぞれの渾身の熱演にほとばしる素敵な芸人魂が観る者の心を打つのです。


※ ちなみにチャップリンはバイオリン、キートンはハーモニカということです。
* 17世紀末にパリの大市に出現した演劇形式で、米国においては舞台での踊り、歌、手品、漫才などのショー・ビジネスを指す。無声期のスラップスティック・コメディはほとんどの場合、ヴォ―ドビリアンによって担われた。
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