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2024年03月30日16:28

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「オッペンハイマー」

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カデミー賞で7冠を獲得した話題の『オッペンハイマー』を2D上映で観た。子どもの頃から「原爆」については複雑な思いを抱いており、この映画が「原爆の父」ロバート・オッペンハイマーの物語と知った時から、観るべきか否か、迷っていた。先の大戦で日本はアメリカを主軸とする連合国と戦争をし、アメリカが広島・長崎に原爆を投下したことを知る日本人の多くは同じ思いだろう。1944年にはすでに戦争を継続する力を失い、日本政府は連合国との和平交渉を模索していた。アメリカが原爆開発競争をする強力なライバルだったドイツは1945年5月に降伏。ドイツが連合国に原爆を使う恐れは消滅したのに、敗戦確実のいわば「死に体」の日本にあえて原爆を投下する必要があったのかどうか、はなはだ疑問である。アメリカの念頭にあったのは日本との戦争の決着ではなく、やがて敵対するであろうソヴィエトに対して原爆の威力を見せつけようという意図はなかったのか? 日本が降伏してしまう前に人体実験のため、なんとしても原爆を投下したかったのではないのか? そんな思いを胸にして「原爆の父 オッペンハイマーの功績を称えるような内容の映画」を冷静に観る自信がなかったというのが正直なところだ。

【 物語 】 1926年。ハーバード大学を優秀な成績で卒業したロバート・オッペンハイマー(キリアン・マーフィー)はケンブリッジ大学に留学したが、実験物理学担任パトリック・ブラケット教授の指導方針が合わず、酷いホームシックと鬱症状で、連夜悪夢に悩まされる日々を送っていた。彼は理論(洞察)は得意だが、数学と実験が苦手だった。ある時、実験中に誤って器材を割ってしまい、ブラケット教授に叱責を受ける。彼が敬愛するニールス・ボーア教授(ケネス・プラナー)の講義への出席を許されず、実験のやり直しを命じられる。オッペンハイマーは怒りのあまり、プラケット教授のデスクに置いてあった林檎に青酸カリを注射し、ボーア教授の講義に遅れて参加。ブラケット教授に講義参加を禁じられていることも忘れて、ボーア教授に質問する。その晩、ベッドの中でブラケット教授の林檎に青酸カリを注射したことを思い出し、早朝、ブラケット教授の部屋に飛び込むと、すでにブラケット教授とボーア教授が談笑しているところだった。ボーア教授は青酸カリ入りの林檎を手に、「君の質問は講義で唯一価値のある内容だった。この大学ではなく、もっと相応しい大学に行くべきだ」と理論物理学の本場、ドイツ・ゲッティンゲン大学のマックス・ボルン教授に推薦すると約束。ボーア教授が林檎をかじりかけた瞬間、オッペンハイマーは教授の手から林檎を奪うと「虫食いです!」とごみ箱に放り込んだ。やがて、ドイツでボルン教授に才能を認められたオッペンハイマーは量子物理学分野でめきめきと頭角を現し、アメリカに凱旋するとハーバード大学の博士課程研究員、カリフォルニア大学バークレー校とカリフォルニア工科大学物理学科の准教授を経て、1936年、教授に昇進する。

 1942年、第二次大戦下。ドイツが原爆開発に乗り出したとの情報を得て、アメリカは秘密裏に原爆開発を行う極秘プロジェクト「マンハッタン計画」を始動する。ある時、オッペンハイマーのもとにレズリー・グローヴス陸軍大佐(マット・ディモン)がやって来る。彼はマンハッタン計画を推進するリーダーを探していたが、全米一の量子物理学の権威であるオッペンハイマーの名前が候補に挙がっていないことを疑問に思い、直接、会いに来たのだった。オッペンハイマーは准教授時代から大学内で政治活動を積極的に行っており、共産党の会合にもたびたび参加していたため、危険人物と目されていたのだった。グローヴス大佐は何事もはっきりものを言う硬骨漢でオッペンハイマーに「君は共産党員なのか?」と質した。いかに傑出した人材であっても、ソヴィエトに情報漏洩する危険性のある人物を極秘プロジェクトに参加させるわけにはいかないからだ。オッペンハイマーは自分が共産党員だったことはなく、共産主義者でもないことを明言すると、「アメリカはドイツに原爆開発で18ヵ月遅れています。ドイツは世界最高の頭脳をそろえており、追いつくのは並大抵のことではありません」とグローヴス大佐に言い放つ。そして、黒板に向かうと、ドイツとの原爆開発競争に勝つプランを描いた。それは、ニューメキシコ州の荒野、ロスアラモス台地に全米の専門研究者を家族ごと集めて、集中的に原爆研究開発を進めるという一大計画だった。グローヴス大佐は極秘プロジェクト「マンハッタン計画」を成功に導くためにオッペンハイマーの頭脳と手腕が必要不可欠と悟り、彼に全てを任せるのだったが・・・。

 
 この先、少々ネタバレします。










 この映画はとても複雑な構造で成り立っている。クリストファー・ノーラン監督が映画『ダンケルク』で陸・海・空の異なる速度で進行する3つのドラマを同時進行させたのと似た構成だが、ずっと難解だ。ひとつは【核分裂】という、オッペンハイマーの機密アクセス権更新の是非を諮問する「保安聴聞会」の時間軸。ここでは、尋問に答える形でオッペンハイマーの半生、マンハッタン計画の進捗とその後が描かれる。もうひとつはモノクロで描かれる【核融合】という時間軸。商務長官に指名されたルイス・ストローズ(ロバート・ダウニーJr.)に対する「法廷スタイルの公聴会」でのやりとりが描かれ、【核分裂】と【核融合】が同時進行している。それぞれの時間軸の中で、さらに「アイソトープ輸出に関して、議会で行われた公聴会」の模様が異なる切り口で何度も登場する。少なくとも、これらの流れを把握する必要がある。

 なぜ、オッペンハイマーは聴聞会という非公開で法廷もどきの諮問会で厳しく追及されているのか、物語の中でそれを説明する事前情報はない。この「非公開の密室での聴聞会」は明らかにオッペンハイマーを陥れるために仕組まれたものと途中からわかるので、まだ良い。「オッペンハイマーはソヴィエトのスパイであり、極秘機密をソヴィエトに漏洩した」という疑いをかけることで政治的に抹殺し、彼の意見を封殺することを企図しているからだ。

 問題は、モノクロで同時進行する「法廷スタイルの公聴会」の方だ。これはオッペンハイマーが何をし、いかなる容疑で「聴聞会」で追及され、公聴会が何を目的に開催されたものかを観客が知っていることを前提に脚本が書かれている。日本の一般的な観客には意味不明な展開だ。少なくとも私はなかなか理解できなかった。最後まで観て、ようやく、「非公開の密室の聴聞会」を裏工作で仕掛け、オッペンハイマーを政治的に抹殺して、発言力を奪おうとした首謀者が公聴会で明らかになることが理解できた。この流れがわかるか否かで、映画の印象はずいぶんと変わるはずだ。

 さて、肝心の原爆開発についてだ。オッペンハイマーがいたから「マンハッタン計画」が成功し、原爆が完成したのかどうか。答えはYESだ。彼がいなければ、マンハッタン計画は途中で瓦解した可能性が高い。1945年8月の広島・長崎への原爆投下は不可能だったろう。

 では、彼がいなければ原爆は完成しなかったかどうか? これは難しいが、やはりYesだ。第二次大戦末期のドイツとの原爆開発競争があったからこそ、莫大な予算が確保できた。戦時下の緊急課題として、全てに優先され、このタイミングでなければ原爆開発は不可能だったろう。オッペンハイマーがいなければ開発は頓挫して、日本の降伏前に間に合わず、原爆開発は中止されたはずだ。彼こそが原爆開発の唯一のタイミングに登場し、最大の貢献を果たした「アメリカン・プロメテウス」で間違いない。

 陸軍長官を座長に、グローヴス准将以下、オッペンハイマーら科学者が「日本に原爆を落とすべきか否か」を話し合う会議シーンがある。この中で陸軍長官が「東京空襲で10万人が死亡した。ほとんどが民間人だ」と切り出し、「米国内でこの件について批判の声が一切出ないということが恐ろしい」と続けた。当然だろう。非戦闘員である一般市民を10万人も殺害したのは明らかな戦争犯罪だ。それを「相手が日本人だから」と米国民が黙認したことを、長官は「恐ろしい」と述べているのだ。もし、ドイツの降伏前にアメリカが原爆開発を成功させていたら、アメリカはドイツに対して原爆を落としたのか? 「ドイツには使わなかった。日本だから、原爆を落としたのだ」と考える者の方が多いのではないだろうか。日米が開戦した時に、ドイツ系イタリア系は対象外で日系のアメリカ市民だけが私財を没収され、収容所送りになったことからも「日本だからアメリカは原爆を落とした」と考えるのが妥当だと思う。

 会議ではオッペンハイマーは日本への原爆投下を反対した。すでに敗戦は決まっている相手に原爆を使う必要はないでしょう、と。しかし、「科学者は原爆を開発するのが使命で、それをどう使うかに関与する必要はない」「日本は決して降伏しない。全島占領するまで戦うだろう。日本に原爆を落とすことで多くの米軍兵士の命が救われるのだ」と彼の反対意見は封殺された。現代に至るまで、アメリカが原爆投下を正当化する論調だ。原爆の攻撃候補都市の選定にもオッペンハイマー達は関与していない。陸軍長官が「候補は12か所。いや、京都は家内と新婚旅行に出かけた街なので除外する。あそこは良い街だ。候補は11か所だ」と平然と宣言したのみだ。

 日本への原爆投下が決まり、ポツダム会議の席上でトルーマン大統領がソヴィエトに「日本を新兵器で攻撃する」と事前に伝えるため、グローヴス准将はオッペンハイマーに原爆開発を急がせる。人類初の核実験「トリニティ」のシーンは日本人でなければ実験の成否をドキドキしながら観るところだろう。日本人だからこそ「失敗してしまえ!」と祈るような複雑な気持ちになった。さらには、広島への原爆投下成功を科学者たちスタッフが熱狂的に、それこそ狂ったように抱き合い涙を流して喜び合うシーンでは、正直、吐き気がした。

 壇上で、広島への原爆投下が成功だと大声で発表するオッペンハイマー。それに応える会場の大歓声が一切聴こえなくなり゙、彼は真顔になる。会場全体が突然、強烈な白い閃光に包まれると科学者たちの顔の皮膚が熱線を浴び、紙のようにめくれていく。呆然として降壇するオッペンハイマー。何かを踏みつけ、はっと、足を止めるとそこには真っ黒に焼けて炭化した小さな人間の亡骸が横たわっている。彼が見たのは全て生々しい幻影だった。原爆の恐ろしさを映像で伝える、クリストファー・ノーランの精一杯の原爆描写だ。ノーランをもってしてもこれが限界だったのかと唖然とした。日本人には原爆の熱線で焼かれた人々の姿だと理解できるが、はたして、日本人以外の観客にどこまでそれが伝わるのだろうか。まず、無理だろう。
 
 戦後、原爆投下後の広島・長崎の被害状況が報告会で上映されるシーンでは、スクリーンに具体的な原爆被爆者、犠牲者の姿が映ることはない。それを見つめるオッペンハイマーの姿と、彼があまりの惨状に目をそむける様だけだ。原爆の恐さ、悲惨さを伝えるならこのシーンで実際の被害の状況、犠牲者達の姿を見せるべきだったが、ノーマンはそうはしなかった。直接的な情報、あまりにも酷い現実を観客に提示することを彼は避けた。核兵器の恐怖をテーマにしながら、核兵器がどれほど酷い惨状をもたらすかを見せないのは日本人の観客が最も不可思議に感じる箇所だ。

 ただ、広島・長崎の惨状を知ったオッペンハイマーはその後、明らかに変貌する。原爆よりはるかに強力な水爆開発反対を明言してはばからなくなった。原爆開発の時点では、「原爆は全ての戦争を終わらせる。原爆がある限り、二度と戦争は起きない」と科学者も軍人も本気で考えていたのだが、ソヴィエトはすでに原爆開発に乗り出していた。ロスアラモスから何者かが極秘機密をソヴィエトに漏洩していたからだ。アメリカが水爆を作れば、ソヴィエトはそれに対抗して必ず水爆開発に乗り出すだろう。彼はそれを阻止するために、アメリカ国内で「水爆開発反対」を唱えるのだ。「原爆の父」として世界的な有名人となったオッペンハイマーが水爆開発に反対する以上、アメリカは水爆開発を推進できない。核兵器推進派の政治家たちにとって、オッペンハイマーは邪魔だった。そこで、ある人物が「オッペンハイマーの名声を地に墜とし、無力化」する計画を立案した。オッペンハイマーが「マンハッタン計画」の爆縮チームに加えた人物が最初からソヴィエトのスパイであり、実際に極秘機密を漏洩していた事実を利用して、オッペンハイマーこそがスパイだという疑いをかけようとした。結局、オッペンハイマーがスパイであることは立証されなかったが、危険人物として公職追放され、1963年に名誉回復が果たされるまで不遇な歳月を過ごした。この映画は「原爆の父」とされたオッペンハイマーの功績を称えるものなどではなく、彼と彼の家族の苦悩の日々を描いたものだった。

 主人公ロバート・オッペンハイマーとはどんな人物だったのか。物語の中では、マット・ディモン演じるグローヴス少将(初対面時は大佐)の言葉が一番正しいと感じた。彼曰く、オッペンハイマーは「道楽者で、女好きで、危険思想の者達と交友関係があり、神経質で、尊大だが誠実だ」。実際、オッペンハイマーの女性関係は多重同時進行しており、しばしば、彼自身に厄介な影響を与えている。国や任務に対しては誠実だったかも知れないが、「友人に対して誠実」だったかは疑問だ。彼の妻キティ(エミリー・ブラント)は友人のもと夫人であり、キティが彼の子どもを宿したため、友人はキティと離婚。キティと結婚する前から交際していた共産党員のジーンとの関係は、結婚後も続いていた。さらに、結婚後の不倫相手は同僚の妻だった。同僚はその後、失意のうちに自殺している(妻の不倫については知らなかった、とオッペンハイマーはいう)。奔放な女性関係もまた、オッペンハイマーという人物を知る上で極めて重要だろう。



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