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2024年03月06日16:44

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「水木しげるの妖怪百鬼夜行展」

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事がひとやま超えたので、気分転換に外に出た。横浜そごう美術館で開催中の「水木しげる生誕100周年 水木しげるの妖怪百鬼夜行展」の終わる日が迫っているので、観に行く。月曜の朝、それも開館直後に到着したのにチケット販売窓口には行列ができていて、びっくり。展示物の多くが漫画の原稿や書籍だったせいで読むのに時間がかかり、入口からすでに渋滞していた。先ごろ上映されて話題になっていた映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』の影響なのか、女性のお客さん、それもご年配のご婦人が多い。説明プレートの文字が小さいし、漫画の原稿や書籍は大き目のガラスケースに入っているので彼女たちは読むのに思いのほか時間をかけている。展示室が暗いのもさらに拍車をかけているのだろう。照明の角度で自分の影が文字にかかると判読しづらく、行列はなかなか進まない。私は文字を読むときは老眼鏡をかけ、展示物全体を観る時は老眼鏡を外し、ひとつの展示物の前に長い時間とどまらないように気をつけた。

 展示品は一切、撮影ができなかったが、出口のグッズ販売コーナーで図録を買う。全ての展示物の写真と解説が網羅されており、2,200円の価値は十二分にあった。実にありがたいことだ。

 展示の前半は水木しげるの少年時代、軍隊時代、貸本屋時代にわけられており、水木がいつ妖怪物語に触れ、どのように妖怪漫画の第一人者になっていくのかとても詳しく説明されていた。特に、近所の祈祷師の奥さん(のんのんばあ)が水木たち幼い兄弟の面倒をみてくれ、その時に彼女がよく話して聞かせた昔話や怪綺談が「少年 水木しげる」の形成に大きな影響を与えていることを知った。そして、軍隊時代。南方戦線の島嶼で水木たちの分遣隊は米軍の威力偵察部隊に奇襲され全滅。ひとり生き延びて、ジャングルを逃げ回った水木はそこで不思議な体験をする。戦後、その体験こそが「妖怪」だったと彼は悟る。貸本屋時代、戦前に人気を博した紙芝居のひとつが「ハカバキタロー」という怪綺談だった。水木はそれに想を得て、自分独自の物語を紡ぎ出し、後年、『ゲゲゲの鬼太郎』となる。

 水木は暇があると神田の古書店街を歩き回り、古今東西の「妖怪」についての古書を集めた。絵がついているものもあれば、文字で表現されているだけのものもあり、彼は先人たちが集めた資料を基に自分で妖怪の姿を描くようになる。ただし、絵があるものについては当時の人々のイメージを尊重し、それらを大きく改変することはなかった。水木の妖怪画の特徴は「背景の緻密さ、おどろおどろしさ」と共に、妖怪に遭遇した時の「人々の反応」を描いていることだ。滞在時間は2時間に満たない短いものだったが、とても興味深い体験だった。ちなみに、水木の本名は武良 茂。紙芝居作家時代にアパート「水木荘」を経営しており、編集者たちが仲間内で「水木さん」と呼んでいたことが由来だそうだ。


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