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2023年10月21日00:24

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シネマ歌舞伎

歌舞伎界最大のスキャンダルを起こした市川猿之助の初公判のタイミングで、
シネマ歌舞伎「坂東玉三郎泉鏡花抄4作品」が公開初日を迎えた。
この美しすぎるポスターに魅せられどうしても観たくなり、箕面の映画館に観に行ってきた。
この種の舞台作品を映画館で観るのは、劇団☆新感線のゲキ×シネを観て以来だ。
演劇やバレエ、音楽ライブを映画館で観るというのは最近普通になってきたが、確かに伝説の舞台を映画館で何度も観れるなんてすばらしい時代になったものだ。
玉三郎の追っかけをしているお姉さま方を知っているが、歌舞伎はとにかく高いし、私はほぼ観たことがない。歌舞伎役者が出ている演劇は何度か観ているが。

今日観たのは「海神別荘」(2009)と「高野聖」(2008)

坂東玉三郎の相方が、市川團十郎(当時は海老蔵)と中村獅童という豪華版であった。
女性より女性らしいと誉れ高い玉三郎の妖艶美もさることながらプロデューサー・舞台監督としての玉三郎の手腕も見どころ。

https://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/lineup/1741/
https://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/lineup/1744/

以下、玉三郎へのインタビュー記事より。

・泉鏡花の生誕150年を記念し、鏡花原作、玉三郎主演によるシネマ歌舞伎『海神別荘』、『高野聖』、『天守物語』、そしてグランドシネマ『日本橋』の4作品を特集上映することについてーーー
「このような企画ができるかどうかなんてことを思わずに、そのときそのときにつくってきたものですが、こういう風に並べていただいて、とてもうれしく思っています」

・鏡花作品の魅力についてーーーー
「あまりひと言で言いたくはないのですが、やはり幻想的なところでしょう」
「めくるめく非現実的な空間が渦巻いていて、人間の汚濁を嫌う人たちの姿が美しい文章で綴られているということも、魅力だと思います」
「 定義したいわけではありませんが、鏡花先生の戯曲は大団円がないのです。能楽的な構成ができていると考えるとわかりやすい。幽玄といいますか、観ているうちにすっと終わっていきます」「そうした背景からか自分が初演した当時は『天守物語』が難解なものとされていた」「難しい部分は観やすく伝えられるように考えなくてはいけない」

・話の折に触れて、いくつかの作品の台詞を流れるように語りーーーー
「こんなにバランスの取れたせりふってなかなか出会えないと思います。音楽的にできていて、1回覚えると出てくるんです」「どの時代でも上演できる人間の魂を描いている。時を超える日本の戯曲という感じがします」
長く鏡花作品と向き合ってきた俳優の思いがにじむ。

シネマ歌舞伎は、舞台の衣裳や道具を、寄って(間近で)観られるということが醍醐味の一つ。『高野聖』と『日本橋』はカメラの制約もあり、上演中ではなく終演後に撮影を行ったそう。『高野聖』は、みどころでもある水浴びの場面をはじめ、遠方のカメラでは収めきれない部分を、舞台上にカメラを入れて撮影したこと、『日本橋』はカット数が多く編集の苦労があったことや、整音やせりふの調整などにも時間をかけたことなど、細部にまでこだわり抜いてつくられたことが伝わってくる。

私はとくに『海神別荘』の舞台芸術のクオリティーの高さに感動した。
美しい洋装の玉三郎と市川海老蔵のポスターを観たときに想像はしていたが、ほんとバレエかシェークスピア劇を観ているようだった。
憂いをたたえた花嫁(玉三郎)と海神の公子(海老蔵)の均整美。見事な手刺繍が施された純白のドレスに身を包んだ花嫁は鳥毛立観音像のよう。公子は黒とゴールドを基調にした豪華な衣装や甲冑に身を包みギリシャ彫刻いやヘレニズム仏像のような完璧な容貌が映える。
制作した職人の方々の技術の高さがうかがえる。

美女が海龍にのって海底界へ下る姿は、天女が雲にのって天上界から降りてくる姿を彷彿とさせる。海中に浮遊する光(クラゲなどの発光体か?)を花嫁行列の提灯であらわし、ゆらめく灯は空中をさまよう人魂(ひとだま)のように幻想的。

海底の世界は冥界か「竜宮城」か。
ここに棲む海神の公子が人間の花嫁を迎えるにあたって、娘の親に、海の幸・真珠・珊瑚等を送る。親は娘を捧げると約束し財宝を受け取る。それを結納というのか、否 身代(みのしろ)という。なぜなら親は財宝と引き換えに娘を海に沈めるのだから。
古来、天災や凶作に際し神を鎮めるために人柱を立てたり、娘を生贄に捧げたという伝説も多い。大いなる神にとって人間の営みなど取るに足らないことなのだ。
娘はつらい体験をした。実の親に海に沈められるなんて。「でもあなた、これはめでたいことなんですよ」と公子の女房に洗脳される。陸上では貧しい生活だったのに公子に見初められたおかげでこうして永遠の命を得て輿入れするのだから結局は幸せではないか・・
娘は悩む。「別に故郷に帰りたいとは思わない、でもせめて親に知らせたいのです、
私はこうして海底界で生を得て元気に暮らしていると。」
「それは無理だよ。お前はもう地上へは戻れないし、一瞬戻れても人間界ではお前の姿は蛇にしか見えないよ」と公子はいう。
娘はまた悩む。「どんなに美しく豪華な宝石を公子様にプレゼントされ身に着けてもそれを誰にも見せられないなら意味がない」
「どうしてそのように考えるのだろう?人間の欲望は際限のないものだね。」と公子は言う。

「ここは極楽なのですか?」「ここは極楽ではないよ。なぜなら・・女の行く極楽に男はいないし、男の行く極楽に女はいない」
謎の言葉である。鏡花の作品には、意味がよくわからない謎の言葉が多いが、これもまた鏡花作品の魅力らしい。
極楽というところは男女別々に存在するのだろうか。不思議な理屈だなぁと思ったが。極楽とはいわゆる魂の終着点。男と女が共存するところには必ず子孫ができるし存続していくのだから終着はない。だから男と女のいるところは極楽ではないということか。

猿之助は両親の自殺を幇助し自身も自殺をはかった。この世で行き詰まりあの世に活路を見出そうとした。両親もそれに同意した。男だけしかいない極楽を目指したのかもしれない。


猿之助被告、法廷で後悔と謝罪
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=7605667
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