あるゲイカップルと娘の暮す郊外のキャビンに、突然、4人の男女がやってくる。
グループのリーダー・レナード――筋肉がみっしりの大男デイヴ・バウティスタなんだからたまらない――は、「世界を救済のために家族のだれを犠牲にするかを選んでほしい」と迫る。
本作は郊外のキャビンのみが舞台となる「ワンシュチュエーションスリラー」だ。前作の『オールド』同様、映画は原作を翻案にすえたオリジナルストーリーだ。*1
シャマラン作品のセオリーは、荒唐無稽な事実や超常現象が“事実”であった最後に突き進む。ネタばらしは重要ではない。“過程”の映画だ。*2
その“過程”は今回もたっぷりだ。
「終末の啓示をうけた」と、2人の父親と養女の住むキャビンへあらわれた4人は、正気なのか? 狂気なのか? 判然としない。強引に押し入り、父親らを縛り上げ、犠牲を迫るレナードは知的で聡明。*3
だが、家族が犠牲をしぶると、なんともはや、異形の道具を使いグループを1人ずつ処刑していく。そうしてふたたびいうのだ。救済の犠牲を1人だけと選べと。こうして異常な雰囲気と緊張感を維持しながら、映画はグループと家族の攻防を積み上げる。
本作の結末に関る終末思想と、レナードたちグループの行動規範は、我々にとっては腑に落ちづらい。作中で起る出来事はあきらかに一神教の終末論だが、この一種ディザスター的黙示録の描写は、むしろ欧米の世界観である。*4
※1 原作はタイトルは「THE CABIN AT THE END OF THE WORLD」。映画の原題は「KNOCK AT THE CABIN」。邦題は、原作と映画の意味を両方汲み取り秀逸だ。
※2 監督がキャリアで「どんでんがえし」のみ注力して作品を撮り続ければ、もっとずっと以前にあきられているだろう。その「どんでんがえし」や結末にいたる過程まで人々を引き付ける力を監督は持つ。なお今回の作風は『レディ・イン・ザ・ウォーターや『ハプニング』に近い。
※3 そのギャップが怖い。
※4 そもそも「血の雹と火が大地に降り注ぐ」「火の塊が海に落ち沸騰する」「星が落ち川の水を毒へかえる」「昼夜関係なく世界が闇へと包まれる」など、キリスト教的黙示録はディザスター――天変地異要素が非常に強い。とはいえ、その物資的・実際的な終末は、我々アジア文化圏では理解しづらい。本作を見て携挙――ラプチャーの関る『ノウイング』を想像する感想は真っ当で、本作の物語には「神が人を選ぶ事」が密接に関る。
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