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2022年11月27日18:55

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ル・コルビュジエ[読書日記910]

題名:ル・コルビュジエ
著者:八束 はじめ(やつか・はじめ)
出版:講談社学術文庫
価格:920円+税(2022年9月 第1刷)
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ル・コルビュジエといえば、「国立西洋美術館」の建築家として有名です。
その巨匠の本があったので、手に取りました。

裏表紙の惹句を引用します。

“「すべての建築家にとっての強迫観念」「近代建築の言語そのもの」。
 スイスの若き時計工芸家は、なぜこれほどの世界的名声を勝ち得たの
 か。師との出会いと決別、数多のコンペティション落選やアカデミー
 との論争、生涯転身し続けた作風の背景――。建築界の巨匠を "人文
 主義者" という視点で捉え直し、豊富な図版と共に、その全体像をク
 リアに描き出す!”

“人文主義”を改めて検索すると、“人間性を尊重し,宗教や権力の束縛から人間性の解放をめざす思想”(旺文社世界史事典)だそうです。

目次は次の通りです。
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 序 章 ル・コルビュジエとは誰か?
 第一章 見出されたもの
 第二章 「開かれた目」と「ものを見ない目」
 第三章 「建築を擁護する」
 第四章 「彎曲の法則」
 第五章 「直角の詩」
 第六章 「開かれた手」
 年 譜
 あとがき

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印象に残った文章を引用します。

【序 章 ル・コルビュジエとは誰か?】から、ル・コルビュジエが亡くなった年の記述。
“好んで「鴉」と名のっていた、建築家、都市計画家、画家、彫刻家、著作家ル・コルビュジエ(しかし、これすらも本名ではないわけだが)が南仏ロックブリュンヌでの水浴中に心臓発作で世を去ったのは、1965年の8月27日の真昼時に近い頃である。”(7p)
 ⇒ル・コルビュジエが、私の生まれた年の後まで存命だったと初めて知りました。

【第一章 見出されたもの】
“後のル・コルビュジエ、即ちシャルル=エドゥアール・ジャンヌレは、1887年10月6日、スイス、ジュラ地方の小さな町、ラ・ショー=ド=フォンに生まれた。ラ・ショー=ド=フォンは時計産業の中心地の一つであり、彼の父も祖父も時計の文字板の絵付け師として働いていた。100歳で没するまで息子の愛情の的でありつづけた母は音楽家で、シャルルの兄アルベールはこの母の感化を得て作曲を志し、後に弟がピカソやレジェなど近代絵画の旗手たちと交わったのと同じように、ストラヴィンスキーや同郷のアルセルメと交わってそれなりに一家をなした。”(11p)
 ⇒芸術家一家に生まれたようですね。

【第二章 「開かれた目」と「ものを見ない目」】
“スイスの田舎町の野心と才能のみをぎらつかせていた無名の若者は、パリに出て10年を経ずして世界的な前衛建築の旗手となったのである。極東の島国である日本ですら、はやくも1923年(大正12年)には『建築世界』誌に薬師寺主計(かずえ)による「欧米を巡りて 仏蘭西の青年建築家コーブセ――スーニエ氏に会うの記」が掲載されている。”(48p)
 ⇒ル・コルビュジエが日本に紹介されたのは、彼がまだ青年の頃だったと知りました。

【第三章 「建築を擁護する」】
“国際連盟をめぐるスキャンダルが未だ決着のついていない28年の6月にスイスでCIAM(国際近代建築会議)の創設会議が開かれた。これが近代建築・都市計画史上でエポック・メーキングな事件だったことは間違いない。(略)
ル・コルビュジエはCIAMによって国際的な主導権をはじめてとったのである。他に彼に匹敵する人材がいなかったわけではないはずだが、ミース・ファン・デル・ローエは何故かCIAMには参加しなかったし、グロビウスはオランダのJ・J・P・アウトは第一回を欠席して出遅れた。ロシアの代表者たちも第一回参加のヴィザがおりなかった。”(90p)
 ⇒ル・コルビュジエには幸運も味方したように感じます。

【第四章 「彎曲の法則」】
“リオの「忘れ難くも狂熱に満ちた夢幻的光景」の中にその誌的風景の一部として挿入された巨大なコルビュジアン・カーブは、次にもう一度反復される。今度の舞台は北アフリカ・アルジェである。アルジェに対するル・コルビュジエの執着は並々ならぬものであった。一〇年以上の年月に亘って彼は同じ都市のために幾つものプランを、報酬もなしにつくるつづけ、最終的には、例によって無に帰した。”(120p)
 ⇒ル・コルビュジエが執着した理由は、“そこに最終的な天地を見出そうとしたことによっている”と書かれています。

【第六章 「開かれた手」】
“ステファン・ガーディナーのル・コルビュジエの短い評伝の冒頭には、ラ・トゥーレットに関する興味深いエピソードが伝えられている。ラ・トゥーレットの階段室には、他の後期の作品にも共通していることだが、極く小さな明りとりの開口がいくつか穿たれている。この開口の一つのコンクリートの打設がうまくいかなかった。当然のことながら現場監督は当惑した。予算はないとはいえ、相手は世界の巨匠である。しかも世界中の至る所でスキャンダルを起こしつづけてきたことでも音に聞こえた気むずかし屋の人物である。
しかし、この懸念は杞憂に終った。巨匠がいったことは「間違いは人間的なことさ」であり、彼はそのことばをその不首尾に終った窓の傍に刻印するよう指示した。”(194p)
 ⇒巨匠にも人間的な面があったということですね。

難解な表現や、専門用語(たとえば、新古典主義、キュービズム、モダニズム、レイト・モダニズム、ポスト・モダニズム等)が多く、万人向けの内容ではありませんが、ル・コルビュジエと彼の作品について、知りたい方は一読してもよいと思います。

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八束 はじめ(やつか・はじめ)
1948年、山形県生まれ。建築家、建築評論家、芝浦工業大学名誉教授。
東京大学工学部都市工学科卒業。同大学大学院博士課程中退。
磯崎新アトリア勤務後、独立。
著書に『逃走するバベル』『批評としての建築』『空間思考』『思想としての日本近代建築』『ロシア・アヴァンギャルド建築』『ル・コルビュジエ 生政治としてのユルバニスム』共著協『未完の帝国』など多数。

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