「楽しかったから」
そう言って友人がマジシャンに感謝の気持ちを込めてお金を渡したのは、8月にテーブルマジックのレストランに行った時だった。
それを「おひねりみたいだ」と日記に書いたら、お気に入りさんたちとのコメントのやり取りで
「おひねりと言えば大衆演劇だよね」
「大衆演劇って見てみたいなあ」
「私も見たいと思ってたのよ〜」
となって、それじゃあと先日お気に入りさんたちと3人でそこに行ってきた。
その大衆演劇がある小屋に行くと開演前からすでに待ち人が数人並んでいた。
その時点で私はちょっとワクワクした。
中は広くはないけど、ちゃんと二階席も花道もある。マイクも照明もなかった昔の芝居小屋はこれくらいがベストな広さだったのではないだろうか。
席は座布団と小さな椅子の席があり、思いの外、席と席の間にゆとりがある。座席の背もたれには予約客の名前が貼ってあって、いかにこの劇場や劇団が地元に密着しているかが窺える。
始まったステージは二部構成で最初は踊りだった。
意外なことに音楽はサザンの歌やポップミュージックで歌謡曲ではない。
踊り手は金髪に女物の派手な振袖を崩したように着た男性や、一瞬少女漫画に出てくる中性的な美少年のように見える男の子が和洋折衷のような踊りを披露するが、女形ではない。
多分、歌も踊りもメイクも若い子を取り込むための演出なのだろう。(事実ちらほら若い女の子もいた)
チラシの役者さんのアップの顔を見ると、宝塚の男役と違って「切れ長の目」になるようなメイクである。
そのメイクで流し目をされると実に効果的である。
ふと「流し目」を英訳すると何という言葉になるんだろうと思ったが、流し目に独特な色気を感じるのは日本人だけかもしれないから、多分訳しきれないんじゃないだろうか。
そもそも目が口ほどに物を言うとしたら、ウインクのほうがかの国では多弁でわかりやすいだろうし。
二部のお芝居は昔の東映時代劇を思い出させた。
お芝居が始まった途端、私の脳裏には岩に打ち寄せる波飛沫に三角の東映マークが浮かぶ。
泥臭いけれど、どこか懐かしい。
思えばあの時代劇の男優たちもメイクは女優並みで、素顔を見た時の落差に私はかなりがっかりしたっけ。
でもこういう大衆演劇からメジャーな役者になった梅沢富美男や早乙女太一同様、誰がそうなってもおかしくないほどの実力のある役者さんばかりだった。
座席は花道を挟んで左右に分かれているが、その左の座席は縦2列しかない。
どうやらそこがおひねりを渡す人たちの専用の席らしく、役者がそこに差し掛かると阿吽の呼吸で役者はしゃがむ。
襟にお札を挟みやすいように、しかもちゃんと我々にそのお札が1万円札だとわかるように。
これが見たかったのだ!
話には聞いてたし、そういう所をテレビでも見たこともあったけど、猜疑心と性格の悪さが相まってどうしても私は「サクラじゃないのか?」と思っていた。
「煽ってない?」とも。
でも料金は次男がやっていた小劇団より安く、たったの\1800
おひねりがないと劇団はやっていけないだろう。
外国のチップは雇う側がそれを想定してお給料の額を決めてると言うが、おひねりはどうなってるのだろう。
おひねりの総額は役者で分配するのだろうか?
それとも貰った人は「自分のもの」という所得権を主張できるのだろうか。
いずれにしてもコロナできっと彼らは長い間舞台に立てなかっただろう。
だから役者さんたちは苦労されただろう。
けれど、けれど、けれど…
ごめんっ
私は主人とは別れられても、諭吉とだけは別れられない!
処で、十条という地名を聞いた時、京都みたいなネーミングの地名にそんな雰囲気がある町なのかなと思ったが、案内してくれたお気に入りさんに言わせると「ここは下町なのよ。お惣菜なんかすごく安くて、お店の人もすごく気さくなの」とのこと。
かつて「下町の玉三郎」と言われた人がいたが、なるほどと思った。
大衆演劇は下町の文化なのだ。
歌舞伎だけが文化じゃない!
芝居が終わった後、惜しみない拍手をしながら私は思った。
庶民の文化にもっとエールを!と。
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