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2022年05月13日00:23

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「パワー・オブ・ザ・ドッグ」ネタバレあり

予想していた映画とはちょっと違った。マッチョな男たちの時代遅れのカウボーイたちとジェンダー的な問題を扱った心理劇なのかと思っていたら、そう単純な映画ではなかった。登場人物のキャラクターが次々と裏切られていくのだ。えっ?こんな人間だったの?前半と後半とでは、人物の印象も全く違うし、別の一面が次々と現れてくる。単純な映画ではない。複雑な多面的な人物像と多面的な表現。単純な善悪では計れない人間の複雑さと底知れ無さ。

1920年代のアメリカ・モンタナ州が舞台。西部劇のようでありながら暴力場面はほとんどない。対決も決闘も撃ち合いもない。カウボーイたちの映画ではあるが、相手を打ち負かすような勝敗も決着もない。人間関係の心理サスペンスだ。

荒野を行く牛の群れと馬に乗るカウボーイたち。兄弟の牧場主の兄のフィル(ベネディクト・カンバーバッチ)と弟のジョージ(ジェシー・プレモンス)。荒くれ者の兄フィルと紳士的な弟ジョージが対照的に描かれる。背広姿のジョージはカウボーイらしくない。宿屋にたどり着いた一行は、未亡人ローズ(キルステン・ダンスト)と一人息子のピーター(コディ・スミット=マクフィー)と出会うが、フィルはピーターの男らしくない振る舞いをあざ笑う。ピーターが紙細工で作った花。すらりとした手足と中性的な顔立ち。ピーターはマッチョなカウボーイたちとは明らかに異質であり、嘲笑の対象にされる。息子を馬鹿され涙する母親ローズを慰めるジョージ。フィルの知らないところで、ジョージとローズは結婚を決めてしまう。

前半は明らかに男性優位社会への批判的眼差し、男たちのマッチョ的振る舞いの暴力性が強調される。そんな中で、フィルとジョージの兄弟の仲の良さ、フィルが弟ジョージの姿を探し求め、同じベッドで眠るホモセクシュアルな弟への思慕が暗示される。ジョージとローズが二人で旅をする場面、車を止めて荒野でダンスを踊るシーンは、この映画で唯一のロマンチックないいシーンとなっている。

旅から牧場に戻ってきた中盤は、フィルとローズの確執が物語の中心になる。高圧的でマッチョ的なフィルと合わないローズとピーター。知事夫妻を家に招く時のピアノ演奏をめぐってのフィルのからかいとローズの失意。このあたりのローズのキャラクターが、前半の宿屋での快活さやダンスの場面に比べると、別人のようだ。ピアノを弾けないで必死に練習するローズ。フィルにバンジョーや口笛でからかわれる演出は上手いのだが、ローズのキャラクター変化に違和感を感じた。次第に酒浸りとなっておかしくなっていく一方で、フィルとピーターの物語が始まる。


<ここから先はどうしてもネタバレになるので、映画を見てから読んでください。>

荒くれ者として描かれていたフィルの別の一面、他のカウボーイたちと一線を画す一人の世界が描かれてくる。森の中で一人になって川で泳ぐフィル。フィルが慕っていた伝説的カウボーイ、ブロンコ・ヘンリーへの想い、ローズへ示す女性嫌悪。森での秘密をピーターに垣間見られた後、フィルはピーターに接近し、カウボーイとしての教育を始める。男から男への父親的な振る舞い。馬の乗り方からロープの結び方まで、フィルが単なる荒くれ者ではない姿が後半描かれる。しかも、大学出のインテリで、ジョージよりも会話力があり、チームをまとめられるリーダー的素質もある。一方で、自らのホモセクシャル的な性的嗜好性を隠しながら、マッチョ的振る舞いでカモフラージュしていたことが分かってくる。ひょっとしたらピーターへの興味の裏返しの最初の攻撃性だったのかもしれないとも思えてくる。一方で、医者を目指すピーターの残忍性や冷徹さが次第に描かれる。ウサギの解剖や病気になった牛の解剖。

登場人物の4人ともすべてが、前半と後半では別の人間のように描かれるのだ。役者は演じるのが大変だっただろう。キャラクターに一貫性がないからだ。人間とはそもそも、多面的な複雑さを持っており、映画では物語に奉仕するため、しばしば単純化されるのだが、この映画ではまったく別の人格が現れるのだ。暴力的で野蛮に見えていたフィルもピーターにいろいろ教えて「なかなかいい奴じゃないか・・・」と思うようになったところで、ラストで事件が起きる。フィルが殺されるのだ。なぜ、あれだけ面倒見てもらっていたピーターはフィルを殺したのか?

「剣と犬の力から 私の魂を解放したまえ」という旧約聖書の言葉から取られた映画タイトル「犬の力」とは、何か?ピーターとローズは結託してフィルの力を奪ったのか?ピーターはフィルの自分への思いを分かった上で殺したのか。タバコのシーンのフィルへの挑発。そうだとすると、ピーターの偏執的残忍さが強調される。フィルがブロンコ・ヘンリーへの愛の思い出と共に生き、ピーターへ自らのカウボーイとしての知恵を授け、仲間たちに知られないように男らしく振る舞いつつ、自分の秘かな思いと向き合い誠実に生きてきたことに比べると、ピーターの冷徹な二面性の方が恐ろしい。自然や動物、人間を観察し、解剖し、策略を練り、操ろうとする傲慢さ。それこそが「犬の力」なのではないか?鈍感なジョージと破滅的なローズの抱擁を2階の窓から見つめるピーターの俯瞰的眼差しこそが、人間そのものの恐ろしさあり、不気味な「犬の力」なのであった。
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