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2021年11月18日09:36

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林雅志氏の坐について2

そのように林氏は真面目で模範的な修方であられたと思います。
けれど、彼の坐を実行して真人に成った人を私は一人も知りません。
一時的に光が見えたとか、変化を感じたという話は聞いた事があります。

林氏が「坐ができている」と認めていた日本人は多摩のY氏だけでした。
感受性の高い人という印象だったY氏と10年程前に電話で話しました際、
「道院の坐は、私にはキツいので続けていません」と言っておられました。

そうです、林氏の坐はともかく続け難いのです。その最も大きい原因は
彼の提唱する守窔が難しい事です。窔のとらえ方と、それを常に維持する
という考え方が続ける事を困難に、ほとんど不可能にしていると考えます。

守窔が大切である事は経典にも訓文にも明記され、道院の修養の常識です。
窔を用いてこそ炁による真霊成就が可能です。ただ、善い結果を得るには、
暫くの継続が必要で、そのための反復練習による習慣化が必須になります。

ですから、坐が継続できないと成果は得られません。彼の守窔の方法は
「鼻先から胸の中央と尾閭を直線的に結んだ線を見る。24時間見続ける。
食事の時間も勿論、就寝しても夢など見てはいけません。」のだそうです。

それは常人のできる事でしょうか? 彼自身も生涯の継続は無理でした。
それから、舌のポジションの塞兌というのは生理的に辛くないことですが、
歯をしっかりと合わせる必要を強調されていました。その事は不自然です。

彼の提唱される「中心軸」は、その直線的に感じるべきとされる線ですが、
私の本にも書きましたように、実際はS字曲線です。アジナーから見れば
直線的ですが、曲線を柔らかく感じないと心身がリラックスできません。

姿勢を良く保っている事も義務意識が伴うとストレスになります。そして
身体が、引いては心身がスティフになります。緊張せずに柔らかい感覚で
坐をしませんと、長期的また日常的に続けられない事はお分かりでしょう。

また、守る窔が唯一、玄関の窔に限られる事も、植物や動物なら解かり易く、
続け易いかもしれませんけれど、人はそのような修養が不得意な生物です。
自分で決められる選択枝や変化がないと苦痛や懈怠が起こってしまいます。

女性の坐では中心軸は鼻先から玄関までを見れば良いと言われていました。
その理由は女体の気の廻る方向がエネルギー的に楽であるという事でしたが、
周天の男女別は絶対的ではなく、炁気の仕組みは人以外の全てにも共通です。

結局は「矛盾を感じない坐法を知るには経典を拠り所にするしかない」と思い、
当時入手できた全ての重要経典とその注釈に神経を集中して何度も黙読して
回答やヒントを頂き、メモやノートをとっては坐をする日々が続きました。

そういう事が無ければ、安全で簡単な坐など、人智で提案できるでしょうか?
現在の私個人の坐は大分変化しておりますが、基本の考え方は変わりません。
また私の場合は、睡眠時に見る夢なども情報の一種として利用しております。

もし、林氏以上に修養の素養があり、現世での体験を卒業した心境の人が、
背水の陣の如き真剣さで行えば、林氏の坐に由る成丹も可能かもしれません。
維持は微妙ですが、更にバージョンUPできれば不可能ではないでしょう。

不退転の大真人に成るには、孚聖のように息々の真功を完全に会得するか、
又は慧聖のように虚と空を自然に自在に使えるように成る必要があります。
今、雅志氏がその事を伝えたいと切望しておられるような気がいたします。

かつて、達磨大師は、在世中に弟子に授けた坐法のうち、尾閭に集中して
クンダリーニを目覚めさせる方法について、帰道後に反省をされました。
そして、くれぐれも「丹を焼かないよう」折に触れて訓示されています。

そのような訂正発言や新たな提案の機会を得られなくて、残念な思いや
歯がゆい思いをされている先人達も少なくないのではないでしょうか。
今発信します私のこの一文が、林氏の安寧の一助になれば幸いです。

炁楽仙女提案の坐だけが誰にでも適するとは申しません。そして又、
修養する事を義務としてお奨めも致しません。坐の方法も複数揚げて、
窔やバージョンを選択する自由を読者にご提供するという方針です。

坐は楽しくなれば続けられます。現実に、「生きる!意味と方法」の坐を
実行して、悩んでいた心身の不調が回復したというお知らせを頂くことは
時々ありますし、そういう人達に直接お会いする機会も時々ありました。

私の所にアクセスされる以前から白いS字線くらいは見えていた人、また
坐法の簡単さに驚いたという人もおられます。彼らは主に気功関係の人です。
初期の道院でも黙真人の他、道教や仙道関係の人が多く縁じられたようです。

ともかく、何事も妄信せず、ご自身で試してみられる事をお奨めいたします。
実際に、林氏の坐の信者が力説する坐と、本で提案する坐を一定期間試験して
比べてみた人達もおられました。確かめるという事は賢明であると思います。

そのグループのリーダー的な人とお会いしました際に彼は、実験をしてみて、
「生きる!・・・」で提案している坐の方を続けるという結論になった事と、
「その信者よりも貴方の言われる事を信じます」という意思を語られました。

それから、もう一つ付加しますと、並々ならぬ道慈の努力をされた林氏が
順調な修養の生涯を全うされなかった原因として、指導神霊や菩薩達などに
親しく加護されるのが非常に不得意だった事が大きいと私は痛感いたします。

老祖様にのみ誠意を向けていれば善いというスタンスで、他の神霊達には、
大真人でさえも先輩というだけで同じ弟子仲間であり、ローカルな霊達は
こちらが指導をしてあげる対象である、というようなノリでありました。

彼は慢心されていた訳でもなく、威張っている印象もありませんでした。
ですから多分、守窔に集中され、一途に思い込んでおられたのでしょう。
又その自信に満ちた態度が狂信者発生の要因にもなったと考えられます。

その狂信者から悪影響を受けて挫折していった人々の多くにも、当人が
神仏のご加護を自ら受け難くしていたという共通要因が観察されます。
愈々修養が進みそうな時に勿体無い事態になったケースもありました。

万物のルーツを尊ぶ意識は勿論大切ですが、できるだけ自己のルーツの
固有元神を感じる事も必要です。また個人的に縁の深い菩薩や神霊たち
などにも敬意と親しみを持ってご指導を頂くことは実に心強い事です。

過日、ご自身の指導神霊からの強いお奨めで炁楽仙女の本を購入して
坐をしているという人に面会した事があります。今はご無沙汰ですが、
賢い神霊に見守られておられるかぎり、ご無事であろうと思います。

どうぞ読者の皆様、宇宙のルーツと自己の元神に意識を繋ぐとともに、
身近な善神善霊たちに対しても軽視せずに親しい協力関係を築いて、
その時々に最適な坐を楽しく行い、真実を体感して下さいませ。

鎮心経で気を整える事も、それに繋がる有益な方法でしょう。
お持ちの咒やお祈り、健康法なども適宜にご活用ください。
皆様の修養が順調に安全に効果的に進みますように!!

林雅志氏と共に、心から願っております。

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