小説の中で自分が下北半島にいるときにサキに囁く言葉
「・・・新選組なんてきらいだよ。」
と津軽海峡を見ながら話したエピソードは実際のできごとである。
当時から自分は新選組がきらいだった。
というより、土方や近藤の人物が好きになれない。
理由は彼らが人を殺しすぎているから。
やり方も陰湿極まるやり方で、伊東甲子太郎などの途中までの盟友でさえ闇討ちにし、その郎党を計略によっておびき出しほぼ全滅させている。
世の中は新選組、新選組と持ち上げるが、自分としてはどうも生臭く感じてしまい、まるで肉食獣の内蔵の匂いを嗅ぐようで自分としては生理的に受け付けないのだ。
ただ
彼らを俯瞰して見たときに、美しいと感じてしまう自分がいる。
人の生き様とは時に理屈を越えた美しさがあるらしい。
新選組に市村鉄之助という新選組末期に仕えた人物がいる。
最初に沖田総司の小姓として、そして最後に土方の小姓として仕え、戊辰を生き延びた人だ。
この人がいるおかげで新選組の概要を今日の自分たちは知ることができるわけだが、彼の証言で沖田総司の介添えをしていたさい、沖田総司が市村へ結核の感染を怖れ
「市村君はよそへ行っていて下さい、ぼくを病人扱いしないでいいですよ。」
と言ったそうだ。
この沖田の言葉は市村を慮っての言葉らしいが、その言葉がこの少年の人生を決定づけたようだ。
後に敗戦に次ぐ敗戦で新選組が江戸に撤退したとき、隊員の脱走が相次ぐ。
兄辰之助までが鉄之助に脱走を勧めたそうだが、鉄之助は残留した。
土方が函館で最後の決戦のとき、自分の遺品を鉄之助に託して、
「・・隊長命令である、去らねば斬る。」
とまで言い放ち、やっと鉄之助は落ち延びることを決意したようだが、一少年にそこまで決意させた新選組とは一体何だったのか。
自分はその片鱗でも探りたいと思って、今日改めて日野の高幡不動まで行ってきた。
この周辺は今も土方の姓が残る天然理心流のふるさとである。
高幡不動の宝物館に、函館から鉄之助が落ちてきた時、縁者の佐藤に託した土方の遺品がいくつかあった。
鉄之助は命がけで官軍の包囲網を突破して日野まで落ち、佐藤家に土方の最後を伝えたわけだが、そこまで出来る精神的原動力はどこにあったのか。
鉄之助が命がけで届けた土方の遺品らしきものを見ながら考えたが、残念ながらその結論はでなかった。
※写真は高幡不動の裏山にある小径。ここを土方や沖田も歩いたはずである。
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