人は知識で学ぶことができないなら経験で学ぶことになる。
経験で学ぶことはとりかえしがきかないことがあるが、それでも、学ぶことがめんどくさい、新しいことが怖いと言う人は経験で学ぶしかない。
大抵はどっちかなんだけれど、中にはさらに具合の悪いことに何度か経験しても、そこから学ぶことができない人がいる。
おととしも去年も今年も同じ経験をしているのに、どうしてそこから学ばないのかと思うが、そういう人間に限って、自分は悲劇の主人公のように愚痴を言い続けるのだ。
たとえば生活に余裕がなければ、人はこう思うはずだ。
タバコ吸うお金を貯蓄にまわそう。趣味にまわすお金で資格をとろう、土日は土日で副業をはじめよう。
そんなにむずかしいことじゃない、一日ほんのちょっとのがまんが、1年たったらそれなりの成果になってる。
しかし経験で学べない人はそういうこと自体めんどくさがる。
自分からしたら、生活もままならないのに、タバコもやっていたのなら、それは本人のだらしなさも起因していると思う。
タバコ、日に数本のように見えても、月にすると、やはり2千円はかかるだろう。年にすれば24000円だ。
時間だって貴重だ。
一日趣味に一時間過ごすのならば、一日に十分は勉強できるだろう。
十分あればどんな言語も、三つは単語覚えられる。すると1年すればおよそ1000の単語がおぼえられて3−4才くらいの理解力くらいは得られる。
そうやってふつうの人はお金をためるなり、資格をとるなりして生活を支えるものだ。
こういうのは努力とはいわないと思うし、どんな人だってできると思うが、自分に甘い、だらしない人はそこをすっとばして弱音ばかり吐いている。
2回や3回なら、同じ愚痴・弱音だって周囲の友人達は相手してくれると思うが、それが4−5回となると、
「いいかげんにしろよ」
と思われるのが関の山だ。
人生で得られるお金と時間は有限だ。
努力しろ、根性見せろ、と言ってるわけじゃない、みんながみんな本に出てくるような偉人じゃないわけだから。
銀次郎が言いたいのは、ダラダラしたっていいから、一日十分の時間だけは何か勉強して、一日節約できる200円ー300円のお金は節約しましょう、世間や友人に迷惑かけないために。そういう話。
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