演歌が何を聞いても同じように聞こえるようになったのはいつからだったろうか。
やがてロックも同じように聞こえるようになり、ただうるさいだけになり、子育てに忙しくなってテレビそのものをあまり見なくなった頃、気がついたら毎日あった歌番組がテレビから無くなっていた。
スーパーに買い物に行けば流れていたヒット曲も、いつしかその店のCMソングが流れるようになり、私はだんだん誰が今どんな歌を歌って、どんな歌がヒットしているのかわからなくなっていった。
数ヶ月前、二つ先の市にある市民会館で稲垣潤一のライブがあるから見に行こうと友人に誘われた。
「どんな歌を歌っている人?」
聞いたことのない名前だったのでそう聞くと
「クリスマスの歌が有名よ」と言う。
「あ、♪きっと君は来ない〜…と言うあの歌?」「そうそう!」
そのライブに行ってきた。
処で、ここで友人の勘違いに気づいた方は何人いらっしゃるだろうか?
稲垣潤一のクリスマスの歌というのは「クリスマス・キャロルの流れる頃には〜♫」で、私が聞いた「きっと君は来ない〜♫」は山下達郎の「クリスマス・イヴ」だと言うことを。
ステージを見に行って友人もやっと自分の勘違いに気がついたが、稲垣潤一を山下達郎と間違えたわけではないので気にすることはなかった。
私自身は稲垣潤一も山下達郎も知らないようなものだし、歌も勘違いしたその一曲しか知らないので、歌よりもライブというものの雰囲気を楽しんだ。
拍手は頭上でしなければならないのね、とか、このフレーズで手をさっとあげなければならないのか、とか。
ファンのそんな連帯感とかノリの良さに何とか合わせようとするのだけど、どうやら私は音感とかリズム感とか、そういうものがかなり怪しいらしい。
その上、私は最近の歌はタイトルも、歌手の名前も顔もわからない。知ってる歌もCMソングで聞いたことがあるからという程度。
タイトルを聞いても歌がわからない、歌を聴いてもタイトルがわからないというのはクラシックと同じだ。
タイトルを聞いて頭に曲が流れたり、曲が流れるとすぐタイトルを言えるのはわずかにベートーベンの「運命」くらいなのだから。
だんだん稲垣潤一の歌が何を聞いても同じに聞こえてき始めた。
もちろん問題なのは私の耳の方なんだけど…
でもその問題は案外深刻なのだ。
何しろ私、最近コーラスのサークルにも入会しちゃったものだから。
どこまで歌えるかわからないのに、成り行きという運命に身を任せて身の程知らずにも。
ジャジャジャジャ〜ン♬
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