mixiユーザー(id:32212643)

2021年04月13日07:51

235 view

90年代の角川とコミックボンボン

おはようございます、月影TAKAです。
今回は、「90年代の角川とコミックボンボン」について語ります。

そもそも「本当に角川がガンダムを先導していたのか?」と言われたら「そうでもない。元々は創通・講談社・サンライズの組み合わせだった」というノリである。

なお、どうして現在はそのように言われているのか?は簡単。
「ネット普及時代に角川がガンダムエースを連載し、角川グループとしてサンライズやバンダイを傘下に置いており、現在創通と組んでいるのが角川だから」である。

なお、講談社のコミックボンボンがネット上でボロクソに言われているが「本当にそうなのか?」と言われたら大半がでっち上げ内容である。
「どうして、コミックボンボンがでっち上げ内容で吊るしあげられるのか?」は実は「コミックボンボンの悪評が意図的に誇張されてネット上で流されたから」が原因である。
で「どうして、そういうでっち上げが通るのか?」というのも「ネット時代の怠惰な部分」が原因である。

よくにいう「サルベージ失敗」という失態をネットがやらかした点にある。
簡単に言えば「ネット情報は90年代全部のコミックボンボンの連載誌のページを詳細に保管しているのか?」と言われた「絶対無理」となるし、「コミックボンボン連載当時にやっていた番組やプラモデルとの関係性は説明できるのか?」と言われたら「そういう物をまとめたサイトはほとんどない」という始末である。

つまりここから「2000年までの時点でのガンダムやメディア系情報は一度リセットされている(サルベージ失敗や未サルベージ状態であるため、紙情報の資料が多く残っている為)。
そのリセット後に角川がネットメディア情報を先見してガンダムエースなどを連載したため「角川がガンダム作品を先導した」と言われている(というより、2021から2000年なんていわば「21年前」になるため、現在の21歳は丁度0歳、29歳でも8歳である)。
簡単に言えば「過去を知らない世代がそう思い込んでいる」事が多く、ネットに転がっている情報を鵜呑みにして「講談社のコミックボンボンなんて大したことが無い」と風潮していると考えるわ(もしくは、ガンダム野郎とか新プラモ狂四郎でコミックボンボンを卒業した世代がその後の90年代のコミックボンボンをよく知らずに風潮するパターンと思われる)。

なお、月影TAKAがコミックボンボンを卒業したのは「ときた先生のSDガンダム英雄譚が終わった時期」であり、アレの終わり方で「以降のボンボンに見切りをつけた」という事は覚えている。
その考え方は少なからず正解であり、以降は「無茶〇伝」とか「烈火武者頑駄無」「SDガンダムフォース」がやっていた世代であり、よくに「コミックボンボン末期」という衰退期に突入していった(主に角川と創通の策略で)。
で、「どうして、これを策略と言えるのか?」と言われたら「その中間期を知る世代だから」というのが言い分である。
よくに「ボンボン黄金期(92年〜99年)」を知り、「中間期(99年〜01年)」あたりで見切りをつけている為「ボンボンがどうやって衰退したか」をリアルで見ていた世代だからである。
その引き金となったのが「創通とサンライズ(をそそのかした角川)によって押し付けたられたターンエーガンダム」となり、これの派生作品としてSDガンダムシリーズとして「武者ジェネレーションシリーズ」があるためである。この武者ジェネレーションシリーズとは「ジェネレーション」とあるように「Gジェネのプラモのリデコキット」になり、しかも「Gジェネ風のSDガンダム漫画にしてください」とバンダイと創通から圧力がかかったらしい。
それ故に前作までの武者頑駄無作品とは違い、この作品のみ「人間キャラがでてきて、ガンダム達は機動兵器としてSDの乗り物になっています(しかも、終盤では「武者ターンエーガンダムが武者頑駄無に変身して人間の技師達に小型化されて旅に出ている」という終わり方をしており、原作の武者頑駄無と直接的な繋がりが無いパラレルワールド作品扱いされています)。
逆に言えば「どうして、この作品のみそういう風になったのか?」は後のときた先生の「SDガンダム英雄譚」においても類似の設定が採用されているあたり、創通・バンダイ・サンライズ(の皮を被った角川)の圧力と考えるべきでしょう。
なお、武者ジェネレーションを最後に神田先生は漫画作品に見切りをつけており続編を連載されておりません。
で、このSDガンダム英雄譚を最後にときた先生はガンダムエースに言っていたと記憶しています(逆シャアの連載時期があまり覚えていませんが、たしか「ターンエーガンダムの後」だった記憶がある。で、ターンエーガンダムの後に神田先生の武者ジェネレーションがあり、その後にときた先生のSDガンダム英雄譚だったと記憶しています)。

で、ガンダムエースが創刊されて現在の「角川主体のガンダム作品」となるため、講談社のコミックボンボンは「角川にガンダム作品をはじめとした主要作品の漫画家を奪い取られた(後に元コミックボンボンの漫画家さん達は「ケロケロエース」で漫画作品を展開しています)」裏事情があります。
なお、創通やコミックボンボン(講談社)はタツノコプロではありますが「てやんでぇ」等のアニメ作品展開にも関わっていたため、SDガンダム作品を「ユーモア作品」にする技量は持ち合わせていると考えられます。
しかし、「SDガンダム三国伝みたいになった始末」の原因は90%中国側に問題があったと思います。
大体その頃から、サンライズのアニメ製作には「中国法人の意見も聞いていた」らしく、そこがかなりワガママを言っていた(あの韓流ドラマ風の演出も中国側の要望と見れると思われます。グレートメカニックGのインタビューには書いていませんが作品を見たらどう見ても韓流ドラマのノリです)。
なお、日本ファンの好きなノリは「てやんでぇ(アニメ版)」「アイアンリーガー(アニメ版)」「講談社の武者頑駄無作品(神田先生の漫画)」「元祖SDガンダム(アニメ版)」であり、SDガンダム三国伝は「客観的に見ても失敗の類(ただ単にグダグダにキャラを殺して涙誘っただけの何がしたかったかよくわからない作品)」としか映りませんでした(あくまで、私の視点ですが)。

なお「メダロットの95年のイメージは?」と言われたら「ゲームになったガンプラバトル」であり、現在のビルド系の「ダメージ表現」はこれのオマージュにしか思えないし、メダロットでは「スラフシステム(脱皮システム)」により、戦闘後のダメージは修復される機能があります。
94年でプラモウォーズで人気が再着火されたガンプラバトル人気に便乗して「ゲームとして楽しめるガンプラバトルゲーム」の開発の一環として作られたのが「メダロット」だったと記憶しています。
なお、メダロットは「爪切り(ニッパーでも可)で組み立てられるコンビニで売っているバトルフィギュア」であり、ロボトルという対戦バトルを楽しむゲームとして宣伝されていました。
つまり「メダロット⇒高性能なプラモデル」であり、「ロボトル⇒ガンプラバトル」として当初の読者には認識されていたでしょう(漫画でもそういう感じでバトルスタイルが組まれていた気がします。毎回ボンボンにはメダロットの開発中の画像とかが掲載されていました。プレイヤー名は「いまじにあ」でしたね)。
ちょうど「テディベア」がロボトルしているテスト中画像が掲載されていました。

これが「当時を知る世代の言い分」であり、このまま角川と創通が中国のゴマすり商法としてガンダム作品を使うなら「鋼鉄天使くるみ」とか色々言っちゃうかもね。
今日はこんな感じです。
2 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する