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2021年04月14日00:15

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バッハとヘンデルの不幸な共通点

 少し前に、アマデウスというのはモーツァルトの本当の洗礼名ではないと書きましたが(https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1977818394&owner_id=22841595)、洗礼名どころか、本名そのものを改めてその名で30年余りも生きたのに、いまだにもっぱら改名前の名前で呼ばれている作曲家がいます。今日262回目の命日を迎えたヘンデルです。
 ヘンデルはドイツ人ではあったのですが、若い頃イタリアに留学して、オペラの作曲家として頭角を現わし、縁あってイギリスの王宮に仕えるようになりました。以後半世紀近くもの長い間イギリスで暮らし、1727年にはイギリスに帰化して、名前もジョージ・フレデリック・ハンデルGeorge Frederick Handelと改めました(旧名ゲオルク・フリードリヒ・へンデル)。
 ハンデルはその後一度もドイツ語のオペラやオラトリオを書いていません※。この人が書いたのはイタリア語と英語(ときにラテン語も)のテキスト用の音楽です。そのスタイルはイタリア流の華麗なものであり、バッハが個性的ではあるものの古くさいスタイルに固執していたことからみても、決して「音楽の父バッハ、音楽の母ヘンデル(←ドイツの音楽史観に影響された日本ではよくこう云われたものです)」と並び称されるような性質の音楽ではありません。
 ヘンデルとバッハは生年が同じで(1685年)、そんなに離れていない所で生まれたにも関わらず、両者は一度も会ってはいません(バッハはヘンデルを尊敬し、2度ほど会おうと試みたのですが、果たせなかったようです)。
 ただ、ジョン・テイラーは、両者と会いました(会ってしまったというべきかも)。
 ジョン・テイラーといっても、もちろんデュラン・デュランのベーシストではなく、眼科医です。当時の医療技術を考えれば、やむを得なかったのかもしれませんが、この人は1750年にバッハの目を手術し、失敗してバッハを失明させ(数週間後、合併症によりバッハは死亡)、1758年にはヘンデルに対して、バッハに施したのと同様の手術をしてやはり失敗しました(ただし、ヘンデルは手術前に既に失明しており、手術はその回復のために敢行されたらしい。1年後、ヘンデルは死亡)。
 いずれも、手術したのは左目であったのであろうとみられています。テイラーは右利きで、患者のこめかみや頬骨を支えにできる左目しか手術をしなかったとされているので。
 もっとも、テイラーがバッハの手術に失敗した頃にはテイラーは風刺やあざけりの対象になっており、バラッド・オペラには彼をテーマにする芝居さえあったといいますから、そういう人物の手術を受けたバッハやヘンデルの方もどうかしてるとも思えるのですが。でも、一患者としては、藁にも縋る思いだったのかもしれません。

 こんな日記を書いたのは、マイミクさんの一人が最近緑内障の手術を受け、そう云えば、昔はこんな史実があったなぁと思い出したからでした。実は、そのマイミクさんの予後は眼圧が上昇したり、出血があったりで、どうも不安定な状態が続いていたのですが、ようやく小康を得たご様子なので、こんなことも思い出せるだけの余裕ができました。
 安定した状態が一時的なものではなく、永続的に続き、手術をして良かったと言える日が来ることを心から願います。



 ヘンデルがまだドイツにいた頃に作曲したオペラには、ドイツ語が出てくるものがあることはあります。ごく初期の作品『アルミーラ』です。この作品には、イタリア語で歌われる部分もありますが、ドイツ語で歌われる部分もあり、ドイツ語とイタリア語が混在しています。
 『アルミーラ』はそれほど上演回数が多い作品ではないと思いますが、後にオペラ『リナルド』の中で歌われる“涙流れるままに”の萌芽とも言えるような部分がありました。
“涙流れるままに”:https://www.youtube.com/watch?v=2RuwAxhr2sQ

『アルミーラ』から“サラバンド”:https://www.youtube.com/watch?v=Mg4Oshb0U2w

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