自分は子供の頃、残忍な性格が潜んでいて、人を殴っても、それが当たり前だと思っていた。
何度も小学校の担任から注意された。
とある若い女教師からは、泣きながら説教された。
暴力の衝動というものは、日々ストレスを植え付けられると、御しがたいものとなる。
自分の母親は、自分が子供の頃キタの美人ホステスとして有名だったが、ある日学校から帰ると、その母親の顔反面が醜く腫れ上がっていた。
あまりに腫れすぎて、毛穴がうきあがり、艶を放っていたほどだった。
学校から帰ってその母親を見たとき、悲しくて、情けなくて、なぜだかとても悔しくて。
その母親が出した言葉も、自分を呆然とさせた。
「・・パパ(義父)が女と人といるところみたことないん?」
絶句した。
もはやこの母親は母親でない。「女」がそこにいる。
自分は外に飛び出した。
そこにその「女」といるのがいたたまれなかった。
飛び出した自分は、学校から帰る同年代の児童の集団をみつけ
「・・おう、ケンカせんかい・・・!」
と怒鳴りつけ、いきなり襲いかかった。手には棒きれ。
狂気としかいいようがない。
今でもあの衝動がなぜ起こったのかわからない。
ただ自分の中の何かが唸りをあげて飛び出てしまった、それだけだった。誰でもよかった。
ここで言いたいのは、自分が憐れだったということではない。
自分はかわいそうだったということでもない。
自分は過去何度も文章にしてきた。
「自分だけは一定の死刑囚たち、彼らの気持ちがわかる」
と。
人から愛されない時期が長くなると、誰でもその性格は残忍になる。
もちろん先天的なサイコパスは例外として存在するが、死刑囚として世に生まれた殺人者達の少なくない者達が、愛されない、認められない、単なる物として生まれ育った者達だ。
この銀次郎が13階段に上がらずに済んだのは、たんなる偶然でしかない。
とある瞬間に、スイッチが入ったか入らなかったかの違いだ。
そんな男が今日、万に一つの僥倖を手に入れて幸せになっている。
信頼できる友人がいて、大切にしたい周囲がいて、やりがいのある仕事がある。
今日の自分があるのは、自分が努力したとかそういう訳ではなくて、運である。
ただがむしゃらに生きてきた中で、偶然、自分を助けてくれた友人がいて、行くところのない自分を迎えてくれた知人がいて、勇気づけてくれた人たちがいるからだ。
一時期自分は自分の人生を呪ったが、実は真逆だった。
自分は運がよかった。
きのう、とある曹洞宗の名刹にいって紅葉を観てきた。
紅葉に見とれて境内に入ると、TVなどに取り上げられた有名な猫がいた。
捨て猫から住職の飼い猫となったおとなしい猫だ。
周囲には子供のはしゃぐ声がする。
「・・あと2−3週間もすると雪かなあ。」
そう思わせる落ち葉をまとった師走の風が、自分の胸元に入ってきた。
黄色に輝く銀杏
真っ赤に色づいた紅葉
秋の斜陽に浮かび上がった木々は、どうしてここまで美しいのか。
黄色が黄色に見えるのは、朱が朱に見えるのは、けっして当たり前のことではないと思う。
それがすべて鉛色に見える人たちもいるのだ。
自分がそうだった。
近くのセブンイレブンに停めた自分の車に帰る。
「・・ここのコーヒー、いつもおいしいな。」
お気に入りのコーヒーを飲みながら、風でゆらぐ山の木々をしばらく見つめていた。
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