〜ワンピースの女性(ひと)〜
『栞 落とされていますよ』
まだホームの灯も見えないトンネルの中
駅に近づき減速する地下鉄の車内
座って文庫本を読んでいた僕の視界に
爽やかなワンピース姿の女性の姿がその声と一緒に現れた
「えっ?」
本の文字の中で主人公と郊外の街並みを一緒に歩いていたので
何を言われてたのか瞬時には理解できず
自分の座っている姿勢が非常識で注意されたと思った
文庫本から目を離して正面を見ると
その女性は僕の足元の座席の下を指さしている
僕も指をさす方を見ると金色のお気に入りの栞が光っていた
平等院で買った鳳凰が透かしっぽくデザインされた金属性の栞
『落ちる音もしたんですけど
お気づきになられなかったんですね』
彼女は相変わらず反応が鈍い僕を見かねてそう言いながら
大きく開いたワンピースの胸元に片手でバッグをあてがい
中腰からしゃがんでもう片方の手で金色の栞を拾い上げ
僕に手渡してくれた
「あ ありがとうございます」
女性と目が合った
毎朝見ている情報番組のお天気お嬢さんの様な笑顔に
僕も会心の笑顔を返すつもりが
驚きのあまりぽかんと口を開けてしまった
このコロナ禍に
床に落ちた他人の栞を躊躇なく拾ってくれる行為にただただ驚き
そうだせめてもマイポケット消毒スプレーで殺菌をと思った頃には
彼女は地下鉄のホームに降りていた
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