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2020年05月02日20:10

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キリスト教思想史〈1〉キリスト教の成立からカルケドン公会議まで フスト ゴンサレス 新教出版社 2010年05月25日

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p.332
東方の神学者にとっては、「ウシア」と「ヒュポスタシス」は同義語であり、ニカイア信条の異端宣告の部分でも両語が混在していた。さらに、ラテン語の「ペルソナ」の意味を適切に表現するギリシア語はなかった。ギリシア語の「プロソーポン」はサベリウス主義的に解釈することも可能だったのである。そのため、ニカイアの擁護者たちが一つの「ウシア」について語ると、ほとんどの東方の主教たちはサベリウス主義を回復しようとする試みだと感じた。そして、より保守的な主教たちであるホモイウシア派が二つのウシア(ousiai)という表現を用いると、ニカイア派はそれが新しい形態のアレイオス主義に過ぎないと考えたのである。
…そこで、「三つのヒュポスタシス」と「一つのヒュポスタシス」という対立的な句は、前者が三神論として解釈されることなく、後者がサベリウス的な仕方で解釈されない限りは、どちらも受け入れることができるのである。
p.333
アレイオス主義は、ロゴスの神性を否定すると共に、聖霊についても同じ結論を下していたが、ニカイアに集合した主教たちは、論争の中心主題であったロゴスの神性に関心を集中させていたので、聖霊についてはあまり触れることなく、ただ「そして精霊を信ず」と定義しただけであった。…子の神性については、長い議論を経て、ほとんどの神学者が神性を確立することが必要だと認めるようになっていた。…セバステのエウスタティオスやニコメディアのマラトンらは、父と子が同質であることについては賛成していたが、聖霊については同質であるとは考えなかった。三六二年の教会会議が、言葉上の問題については柔軟な対応をしたのに対して、こうした主張をする神学者たちについては、マケドニオス派およびプネウマトマコイ派、つまり聖霊の敵と呼んで、受け入れがたい誤りであることを表明した。こうして、この教会会議において、アレイオス主義だけでなく、聖霊を被造物とする意見についても異端宣告をおこなった(21)。…

20 エジプトでは、聖霊が父とは「異なる本質」を持つと主張する、「トロピシスト」(Tropicist)と呼ばれる者たちがいたことをアタナシオスが証言している。Athanasius, Ep. Ad Serap. 1.2.
p.334
特に、ある者たちにとっては新奇で不適切だと思われているホモウシオスという用語は、教父たちによって、子は父の本質を持って生み出され、本質において父に似るものであると、賢明にも説明されてきた。…また、「ウシア」、本質という用語を、父祖たちがギリシア人の間での通常の意味で理解したとも想定してはならない。この語は、アレイオスが不敬虔にもキリストに関して主張したこと、つまりキリストは「存在していない」物質から造られたということを覆すために用いられてきたのである(22)。
p.336
カッパドキアの教父たちは二つの用語を区別し、「ヒュポスタシス」を物体の個々の実体に限定し、「ウシア」を同じ種に属するもの全てに共通する本質を表すものと定義したのである(23)。
p.337
 そうした上で彼らは、神の内には三つの「ヒュポスタシス」とただ一つの「ウシア」があると定義した。つまり、三つの個々の実体が一つの神の本質に与っているのである(24)。
 この定式は、テルトゥリアヌスの「一つの本質と三つのペルソナ」という定式に基づいて理解してきた西方の人々にとっては、理解しにくいものであった。西方の神学者から見ると、神の三つの「ヒュポスタシス」という表現は、三つの神の本質を表明する三神論のように思われたのである。しかし、カッパドキアの教父たちが「ウシア」の統一性を定式の中に含めたことによって、西方の神学者たちも次第に納得するようになった。
p.344
魂は神の似像に創造されたので、本来はあたかも鏡のように、神の像である神のロゴスを映して輝くはずであった。しかし、罪が鏡を曇らせたため、まず先に清められなければその中にロゴスを見ることはできなくなった。
p.346
たとえば、アレクサンドリアのクレメンスによると、父は不変であり近づくことのできない方であり、人間の目には、子によって投射される光が適切なのである。アレイオス論争を通してアタナシオスが明らかに示した通り、こうした理解の仕方は、ロゴスを従属的な神と位置づけることになり、キリスト教の唯一神信仰とは相容れないことになる。
p.347
人間が必要としている救いが、もし新しい創造なのだとすれば、救いは創造主のみがもたらすことができる。しかも、人間が喪失した不死性が、神の像に基づいた存在、つまり神に似た存在であるのだとしたら、人間が必要とする救いは、人間が神とされること(θεοποιηαις)である。
p.348
このことは同時に、救い主が神でなければならないことをも意味する。神だけが神に似た存在とすることができるからである。
…もし父と子の両者が唯一の神であると言うことのできる仕方で子が父の本性を分かち持っていないとして、それにもかかわらず、教会がこれまでにしてきたように、子を礼拝するとしたら、キリスト教徒は多神教を実践していることになり、多神教であるとの誹りを免れることはできない。
 さらに、ロゴスを世界と絶対的超越者である神との中間的存在と見なす教理も、問題を解決することにはならない。その場合、神とロゴス、そしてロゴスと被造物の間に、それぞれ別の中間的存在が必要であることになり、結局、中間的存在を無限に設けなければならなくなる(22)。実際、神の絶対的超越性のみを前提として、神の内在性を考慮しない教理は、神と世界の関係についての問いを解決不可能な問題に変えてしまうのである。
p.349
 同様に、もし子が可変であり、神の本性を持つのではなく、父の意志による結果として存在しているのだとしたら、子を通して不変の父を見ることは不可能である。もし子が人間に父を表すことができるとしたら、それは、子が父に劣るのではなく、父に等しいからである(23)。
p.351
アタナシオスは、イエスには人間の理性的魂の代わりにロゴスが宿っていたことを前提しているように思われる。
p.352
アタナシオス自身は意識していなかったようであるが、こうしたイエス・キリストの人性理解は、彼の救済論的原則とは一致しない。その事実を後のカッパドキアの教父たちが指摘している。ロゴスが人となったのは人を罪から解放するためであり、魂も罪の中にあるのだから、ロゴスが魂を救うためには、人間の魂をも持たなければならなかったはずである。
…キリストにおいて、肉はロゴスの手段となったのであり、両者は結合によって一つになっているので、一方の側に適切に用いることのできる述語は、他方にも移して用いることができる。こうした考えは「属性の融通(communicatio idiomatum)」と呼ばれる典型的なアレクサンドリア学派の教理である。
p.353
なぜなら、肉体それ自体は創造された世界に属するが、しかし神の身体となったからである。…
 その結果、アタナシオスはマリアを「神の母」もしくは「神を生んだ人(θεοτοκος)」と認めた。
p.356
姉のマクリーナが禁欲的生活を始めたことも、若いバシレイオスに影響を及ぼしたと思われる。二人の兄弟グレゴリオスとペトロスは、それぞれ後にニュッサとセバステの主教となった。…
 バシレイオスが、後にナジアンゾス主教となる若きグレゴリオスと出会ったのは、アテネでのことである。
2 この著作でグレゴリオスは自ら対話相手となり、マクリーナが教師である。
p.357
 エウノミオスは、父の絶対性と子の相対性の対比に基づいた議論を展開していた。彼によれば、神の本性は生まれざる者(αγεννητος)であって、生まれざる性質を分かち持つ存在を生み出すということはあり得ない。
p.358
従って、子は生まれた者(γεννημα)であって、厳密には神ではない。…
 それに対してバシレイオスは、神の本性は生まれざる者ということだけに単純化できないと反論する。生まれざること(αγεννησια)は、不可視性や不死性と同様に、単なる否定語に過ぎない。他方、本質(ουσια)は否定語ではなく、神の存在そのものを表す語であり、これを否定的な属性と見なすことは狂気の沙汰である。エウノミオスは神の本質が生まれざる者であることにあると主張することで、まさにこの誤りを犯しているのである。
 他方、バシレイオスによると、エウノミオスは誤った仕方で物質性から神性へと移行する議論を展開し、出生は物質的存在に固有の事柄であって神には関係のないことであり、子が生まれたのであるとすれば、神ではないと主張した。それに対してバシレイオスは、死すべき存在として生きている者は感覚による行為によって出生するのに対して、神の場合はそうではないと反論する。神の本性について述べる場合、神に相応しい意味での出生を考えるべきであり、したがって、神の出生は「感覚的ではなく、部分も、分割も、時間もない」。
p.359
 エウノミオスは生まれざる父と生まれたる子を区別することによって、子が存在しなかった時があるというアレイオス主義の主張を証明しようとした。…既に存在している者は生み出される必要がないはずだから、父が子を生んだ時には、まだ子は存在していなかったはずである。
 この議論に対してバシレイオスは、エウノミオスが永遠と生まれざる者とを混同していると指摘する。生まれざる者とは、存在の原因が自らにあるということであり、永遠とは時間の制約を超えて存在することを意味している。したがって、子は生まれた者であり永遠であると言い、また、子の永遠の出生ということを主張するとしても、そこには何の矛盾もない。もし誰かが、それ以上の厳密さや論理的明確さを要求するとしても、バシレイオスの答えは明白である。子の永遠の出生という教理は、人間の理性で理解することはできない。
p.360
ただ、彼がアタナシオス神学の基礎であった救済論への関心を放棄したことと、純粋に論理的な議論と教条的傾向ニカイア信仰を擁護したことで、失われたものがあったことは確かである。

 Ουσιαとυποστασιςの区別は、たとえば、動物であることと個々の人間であることの区別のように、不変と個の区別と同じである。そこで神に関しては、我々は神の存在について異なる定義をしないため、一つの本性もしくは本質を語ると同時に、父、子、聖霊に関しては固有のヒュポスタシスを信仰告白することによって、我々の認識が混乱なく明確であるようにするのである。もし我々が、父性、子性、聖化などの異なる特性を区別して理解せず、神を存在の普遍性によって考えるとしたら、我々は信仰について正当な説明をすることができなくなる。従って、我々は共通性に固有性を加える仕方で信仰を告白する。神は共通であり、父であることは固有である。そこで、我々はこの二つを組み合わせて、次のように告白する。「わたしは父なる神を信ず」。
p.361
同様のことが子についても言える。我々は固有性を共通性と結び合わせて、「わたしは子なる神を信ず」と告白し、聖霊についても同様の表現で「聖霊なる神を」と告白する。こうして、ひとりの神を告白することによって神の統一性が満足できる仕方で保持されると同時に、三位の個々についても告白することで、個々の固有性の区別が明確にされる。それに対して、本性もしくは本質とヒュポスタシスを同一視する者は、三位だけを告白することになり、三つのヒュポスタシスを認めることにためらいを感じることで、サベリウス主義の誤りを防ぐことに失敗したという誹りを免れることができない(15)。
p.362
そこで、古い頌栄では「栄光が、子を通して、聖霊において、父にあるように」と称えていたのを、バシレイオスは「栄光が、子と共に、また聖霊と共に、父にあるように」と変更したのである。
p.363
 聖霊もまた一であり、それ自身、そのものとして言い表わされ、一なる子を通して、一なる父と結びつく。そしてそれ自身によって、讃め歌うべきさいわいなる三位一体を完成する。聖霊の父と子に対する親さは、被造物の多の中に秩序づけられず、それだけとして語られることに、十分に表われている。それは他の中の一ではないが、しかし一である。すなわち、父は一、子は一であるように、聖霊は一である。それは、単一なものが複合的に他を含むものから離れているのと同じくらい、造られた本性のものから離れている。単一者が単一者に対して親いくらい、そのくらい父および子と一つになっている(20)。
p.364
 カッパドキアの三教父の中で、バシレイオスが組織者であり外交家であったとすれば、ナジアンゾスのグレゴリオスは雄弁家であり詩人であった。
p.367
たとえば、アノモイオス主義者は次のようなジレンマを提示する。もし父が子を生んだのであれば、それは自発的でもなければ強制的でもないはずである。というのも、もし父が強制的に子を生んだのだとしたら、なんらかの力が父にそうするよう強制したことになり、神の力に勝る力が存在することを承認せざるを得なくなるが、反対に、もし自発的に父が子を生んだのだとしたら、子は、父の子ではなく、意志の子であることになるからである。それに対してグレゴリオスは、論敵が彼を捕縛しようとしているロープはとても脆弱だと反論している。アノモイオス主義者が神の出生について大胆に議論するのに対して、グレゴリオスは彼ら自身の出生を引き合いに出して問いかけている。アノモイオス主義者が生まれたのは父の自発的意志なのかそうでないのか。彼らの父は、彼らの出生を強制されたわけではないので、それが強制的になされたことでないのは明白である。しかし、もし父が自発的に彼らを生んだのだとしたら、そのことによって、アノモイオス主義者は父の子ではなく、意志の子だということになるのだろうか。このようにしてグレゴリオスは、アノモイオス派が提示する、いわゆるジレンマは、実際には、何の意味もない単なる「数音節」にすぎないことを明らかにしている。
p.368
論敵は次のようなジレンマを提示していた。「父」という用語は本質もしくは行為に言及する。もしそれが本質に言及しているのだとしたら、子は父「と同質」つまりホモウシオスではあり得ないことになる。他方、もし行為に言及しているのだとしたら、その行為は創造主としての父の行為以外にはあり得ず、従って、子は被造物であることになる。このジレンマ論法に対してグレゴリオスは、「父」という用語は本質についての言及でも行為についての言及でもなく、関係についての言及であると反論した。それは、父と子の間に存在する本質の交流としての関係なのである。こうした議論を通して、グレゴリオスはさらに神の三位の関係性について考察を深めるようになったのであり、その結果、彼は三位一体論の発展に大きく貢献することになった。
p.369
父と子と聖霊の三者を属性に基づいて区別し、絶対的超越者である父と、世界と関係することのできる子もしくはロゴスとを区別することは、必然的に従属論に陥り、最終的にはアレイオス主義にたどり着くことになる。アタナシオスはこの問題に気づいたので、父が子よりも創造から離れているかのような仕方で父の超越性を解釈することに対して、繰り返し明確に反対した。しかし、父と子が等しく超越していることを強調することは、アレイオス主義の基礎の一つを崩す一方で、ニカイアの教理がサベリウス主義とどう違うかを明確にすることができなかった。…
 グレゴリオスによると、三位一体における三つの位格の区別は、それぞれの起源についての言及においてのみ可能であり、その区別はそれぞれの位格の源に基づくものであって、本質または本性とは関係がない。
p.370
すなわち、父の特徴は生まれざる方(αγεννησια)であり、子の特徴は生まれた方(γεννησις)、そして精霊の特徴は発出(εκπορευσις)ということである(14)。
p.371
 ニュッサのグレゴリオスは、教会運営に関する能力の無さでは、帝都の主教である兄弟カイザリアのバシレイオスをひどく落胆させるほどであり、説教者または著述家としては、同じ名前を持つナジアンゾスのグレゴリオスの高みに及ばなかった。しかし、神学者または神秘的体験の探求者としては、彼は同時代の東方神学者たちを遥かに凌駕していた。
p.373
この考えを進めるにあたりオリゲネスは、神による創造というキリスト教的要素と、新プラトン主義の教理である発出との区別をあまり深く追求してはいない。この点が強く意識されるようになったのはアレイオス論争を通してであった。神学者たちはこの論争を経て「被造物」という言葉の意味をいっそう深く考えるようになり、その結果、被造物は永遠ではあり得ないとの結論に達した。そこで、グレゴリオスは魂の先在は神の精神の内においてであると結論づけた。
p.375
アブラビオスの疑問は、人間として同じ本質を持つペトロ、ヤコブ、ヨハネを三人だというのなら、なぜ三位一体の位格についても同様に、三人の神々と言わないのかというものである。これに対してグレゴリオスは、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを「三人」と表現するのは、ものを語るときの習慣に流されているだけの、不正確な言い方である。真実には、人間の本質は一つであり、ペトロとして存在する人間の本質とヨハネとして存在する人間の本質は同一である。…
 続けてグレゴリオスは、ペトロ、ヤコブ、ヨハネらの人間性について言語を不完全な仕方で用いることは許されるが、神の本性に対して不正確な言語を用いるのは破滅的であると論じる。…別の著作でグレゴリオスは、イエス・キリストが神であることを否定する者たちは、まさにこのような不敬虔に陥っていると論じている。なぜなら、もし彼らが真に神ではない方を礼拝しているのだとしたら、そのこと自体、彼らの前提に反することになり、不敬虔が証しされたことになるからである。
p.376
また、もし彼らがキリストを礼拝しないとしたら、彼らはキリストを礼拝することを拒否するただの「ユダヤ人」にすぎない。
 人間に関しては複数の存在として語ることができるのに神に関してはなぜできないかということについて、別の理由も存在する。異なる人々の活動が多様で個人的であるのに対して、聖なる三一の活動の場合は、三者に常に共通だからである。
p.377
 すると、「神性」は活動ではなく本質であるとする反対意見が出てくるであろう。これに対してグレゴリオスは、「神性」は呼称に過ぎず、神の本質はあらゆる表現を超えているのであり、「神性」が神を表現できるわけではないと反論している。
p.385
彼はラテン語圏の人々のために書いた著作で、コンスタンティウス帝を、個人攻撃も含めあからさまに批判した。ルキフェルの死後、教会が元アレイオス主義者を復権させたことに反対する者たちが、ルキフェルを彼らの象徴的存在と見なして分派を形成したため、彼らは「ルキフェル派」と呼ばれるようになった。
p.391
アレイオス主義者たちはこの点を突いて、子と聖霊が共に父に存在の起源を持つのだとしたら、なぜ片方を子と呼び、もう一方を子とは呼ばないのかと主張していた。アウグスティヌスはまず、子の出生と聖霊の発出を区別する適切な方法について無知であると率直に認めた後で、聖霊は父と子の間にある愛の絆であるとする説を提示した。
p.399
エウスタティオスはサモサタのパウロスと同様に、イエス・キリストの神性は人格的なものではないと考えた。ただし、アンティオキア学派の後継者たちはこの教理的立場をすぐに放棄した。エウスタティオスはキリストの人性の真正さを守ることに関心があり、そのために、キリストの神性と人性の真の統一を犠牲にする仕方で、人性と神性を明確に区別したのであった。そこで、彼によると、キリストの神性と人性の統一は、人間の意志が常に神と同じことを意志することによる、人間の意志の、神の意志との結合のことである。しかも、イエスは人間の身体と魂を持った真の人間であり、他の人と同様に、真に育ち、成長したのである。非人格的な神の「智恵」が神殿としてのキリストに宿ったのであり、キリストの人格性は人間のものであった。
 エウスタティオスの後継者たちは、キリストの二性の区別と、人性の真正さを強調する傾向を保持した。この立場を代表するものとして、タルソスのディオドロスとモプスエスティアのテオドロスの二人を挙げれば十分であろう。


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■【世界の街角】世界遺産カッパドキアの絶景城塞都市トルコ・ウチヒサルを訪ねて
(GOTRIP! - 08月05日 06:30)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=206&from=diary&id=5735622

トルコを代表する観光スポットといえば、中部アナトリア地方に位置するカッパドキア。その類まれなる自然風景に加え、キリスト教徒たちが残した教会や地下都市などが評価され、自然遺産と文化遺産の両方の価値をもつ「世界複合遺産」に登録されています。



「カッパドキア」というのはエリアの名称。そのため、一口に「カッパドキア」といってもその範囲は広く、地域内に個性豊かな村々が点在しています。

カッパドキア観光の起点として最も人気があるのは、交通の便が良くホテルやレストランも多いギョレメですが、カッパドキアの多様性を知るには、周辺の村にも足を延ばしてみましょう。

カッパドキアを旅するなら、必ず訪れたい村のひとつがウチヒサル。巨大な岩山をくり抜いて造られたウチヒサル城を中心に広がる村で、その名はトルコ語で「尖った砦」を意味します。



ウチヒサル城を頂点に、段々畑のように立体的に築かれた町並みは壮観。SF映画のワンシーンに出てきそうな、非日常の風景に息を呑みます。

ギョレメからウチヒサルまでは、オトガル(バスターミナル)から30分ごとに出るローカルバスで10分ほど。ウチヒサルのバス停から看板に沿って10分弱歩くと、さっそくウチヒサル城に到着しました。



ウチヒサル城の歴史は、古代ローマ時代に、ギリシャ人のキリスト教徒がローマ帝国の迫害から逃れるため、ここに隠れ住んだことに始まります。洞窟を掘って造られた数多くの部屋がある城内は、まるで蟻の巣穴のよう。



階段と坂を上って城の頂上にたどり着くと、カッパドキアでも有数の大パノラマが広がります。

どこまでも続く奇岩群はもちろん、モスクや古い民家などが並ぶトルコの田舎らしい風景も魅力。観光地でありながら、今も人々の暮らしと伝統が息づいているのがカッパドキアなのです。





ウチヒサル城にのぼった後は、城の足元を散策してみましょう。城の周辺は散策路として整備されていて、立つ場所によってまったく異なる風景が楽しめます。



少し歩を進めるたびに、この世のものとは思えない風景が飛び込んでいて、数百メートル歩くだけでも目を見張る風景の連続。





歩き疲れたら、奇岩に造られたカフェで一休みするのもいいかもしれません。



ウチヒサルを歩いていると、岩の表面に無数の穴が空いていることに気付くはず。これらは地元では「鳩の家」と呼ばれる鳩の巣で、住民は集めた糞をワイン造りのためのブドウ畑の飼料として活用していたのです。火山性で土地がやせている、カッパドキアならではの生活の知恵といえますね。



城塞都市ウチヒサルは、広いカッパドキアのなかでも特異な景観が楽しめる場所。カッパドキアを訪れるなら、ローカルバスに乗ってここだけの風景を見に出かけませんか。

Post: GoTrip! http://gotrip.jp/旅に行きたくなるメディア



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