小松左京
あの年の3月11日には日本沈没を読み直したものだ。だから今年はこれを読み直した。覚悟を決める手助けになるだろうか。
読んでみると主人公である南極観測隊の吉住が登場するシーンがとても少ない。映画では彼がワシントンから南米大陸の南端まで歩いて旅する様子が延々と描かれていたそうだが(未見)、原作小説ではたったの2ページ。物語は滅んでいく世界各地のエピソードが散りばめられた群像劇のスタイル。だがそれぞれのエピソードが互いに絡み合うことがなく小説としての完成度はどうかと思えてしまう。ここのところは「小松左京のSFセミナー」(昭和57年、集英社)でも指摘されている。
だがしかしこの著作は小松左京の文明観や宇宙における人類の位置づけ感を著したものであり、分子生物学に基づく滅亡テーマSFとの見方は妥当ではないだろう。そのように書かせたのはハヤカワの福島正美で、その妥当ではない方を換骨奪胎して大作映画に仕上げたのがカドカワの角川春樹と。着眼点の違いがとても面白い。
それにしてもMM-88ほどの致死性もない新型コロナウィルスがそれゆえに感染を拡大して、原作当時よりもはるかにグローバル化した社会が経済的な死に瀕しているという現実。泉下の小松氏はいかがな思いだろう。
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