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2019年12月17日17:42

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ムラヴィンスキーがカラヤンに言いたかったこと

 クラシックの世界では、よく大作曲家は交響曲は9曲までしか作曲できないというようなことがもっともらしく云われます。偉大なベートーヴェンに対するリスペクトから、後世の作曲家は9曲を超えては交響曲を作曲しない(できない)というのです。
 確かに、ベートーヴェン以後、シューベルト、ドヴォルザーク、ブルックナー、マーラー、ヴォーン・ウィリアムズは、9曲の交響曲を作曲している(他の有名作曲家はもっと少ない)とされるのが一般です。
 でも、ブルックナーには交響曲第0番なんてものがありますし、マーラーにも、『大地の歌』と命名されている交響曲が、番号を付された交響曲以外にあります(マーラーには未完ながら、ほとんど完成された第10番もあります)。また、20世紀に入ってからも、ショスタコーヴィチは15曲も交響曲を作曲しています。
 彼らを大作曲家でないというのは無理でしょう。なので、冒頭のような説は、ベートーヴェン信奉者らによる根拠のない妄言と言っていいと思います(なお、ベートーヴェン以前には、ハイドンは104曲、モーツァルトも38曲(但し番号は41まである。3曲は他人の作であることが後に判明した)もの交響曲を作曲しています)。

 ところで、上述のように15曲もの交響曲を作曲したショスタコーヴィチの交響曲第10番は、1953年の今日、ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団によって初演されました。
https://www.youtube.com/watch?v=19wLZN-YmkQ

 この交響曲は傑作らしいのですが、私にはどうもよく分かりません。
 ただ、Wikipediaには興味深い話が出てました。そのまま引用しますと;
「(交響曲第10番は)カラヤンが録音した唯一のショスタコーヴィチ作品でもある。カラヤンはショスタコーヴィチに親近感を抱いており「私は作曲をしないが、もししたとしたらこのような曲を書いただろう」と語っている。この作品にはよほどの自信があったようで、1969年のソビエト公演の際、ショスタコーヴィチとムラヴィンスキーの前で演奏している。この時、ショスタコーヴィチは「こんなに美しく演奏されたのは初めてです」と評価した(ただし、これが褒め言葉なのかは分からない)。ムラヴィンスキーは「実に感動しました。しかしあなたは自身の演奏をレコードで聴くべきです」と意味深なコメントを発している」。
 ショスタコーヴィチの評価が褒め言葉なのかどうか分からないというのは、確かに一般的には音楽というものは美しく演奏されるべきでしょうから、奇異に感じられるかもしれません。でも、この曲は、悪名高いスターリンが死んだ頃に書かれたものであり、とくに第二楽章は、ショスタコーヴィチを苦しめ続けたおぞましいスターリンの音楽的肖像であるとみる説があります(実際、ショスタコーヴィチ自身の同旨の証言があります。ただ、彼が本当にそう思っていたのかは不明なのですが)。それによれば、美しく演奏されるなど、もってのほかとも考えられ、ここにショスタコーヴィチの上記評価は反語的皮肉と見る余地が生じるというわけです。
 では、ムラヴィンスキーの方は何を言いたかったのでしょうか?

 先日、母と電話で話していたら、こんなことがありました。
 母は自身が短足であることにコンプレックスを感じているという話を持ち出したのです。どうやら、ここのところ手術や放射線治療でダメージを受けた肺の機能の維持・強化のためのリハビリが始まったらしいのですが、その中に足の短さを痛感させられるものがあったためにそんな話になったのです。
 もっとも、短足であることは以前から自覚していたらしいのですが、ただその自覚は、私が中学生になった頃に初めて持ったものでした。そう云えば、それ以前はデニムを履いてあちこち闊歩していた母をよく見かけたものなのに、急にその姿を見なくなったような記憶があります。
 当時、私は、母の短足には全く気付かなかったのですが(←自分も短いからでしょうか?)、私の弟は目ざとく母が短足であることを見抜き、幼い子どもの特権ともいえる遠慮会釈もない無邪気なコメントで「足みじけーなぁ!」と言ったようなのです。それでようやく母も自らの短足を自覚し、短足が目立つデニム等のズボンを穿かなくなったようなのです。ただ、そのとき同時に、実はそれ以前から姑(私の父方の祖母)は母の短足に気づいていたらしいことにも思い当たったと言うのです。
 祖母は優しい人でした。なので、嫁である母が好きで履いているズボンが似合わないなどと露骨に言えば、母が傷つくだろうと考えたようです。そこで、母が(少しでも足の短さを隠せる)スカートやワンピースを身に付けたときには似合うと言っておおいにそれを褒めました。そうやって母を次第にズボンから遠ざけようとしたわけです。
 母からすれば、好きで履いてるデニムなどは褒めない姑がスカートやワンピースばかり褒めるのが不満というのか不可思議なことに思えたのですが、自らの短足を自覚してからは、姑の真意がよく分かったということです。

 優しいムラヴィンスキーがカラヤンに何を言いたかったのかが、何となく分かったような気がしました(少なくとも実演に手放しで感動したなら、わざわざレコードの話なんか持ち出さなかったはずですよね)。
https://www.youtube.com/watch?v=E2XI8SoJito



参考:https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1815032340&owner_id=22841595
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