mixiユーザー(id:1833966)

2019年08月15日05:03

618 view

樺太紀行(40);雨の白鳥湖(オゼロ・レビャジエ)でワイルドフラワーを堪能:オクエゾガラガラ、ゼンテイカ、チシマフウロ

 今日は終戦記念日。8月は、NHKや大新聞が盛んに太平洋戦争や原爆投下などを宣伝する期間だが、南樺太でソ連赤軍に蹂躙された惨劇が報道される機会はほとんど無い。その非道は、ポツダム戦争受諾、すなわち終戦後にも行われたのだ。
 「戦後の戦争=侵略」で犠牲になった方々(多くは民間人だった)に深い哀悼の意をここで表したい。
 なお過去の南樺太と最果ての日本領の千島、占守島で行われたソ連赤軍の蛮行を記した日記は文末に掲載し、せめて私的な終戦記念日のメモワールとしたい。

◎雨の土道、足に気をつけてオクエゾガラガラ、ゼンテイカ、チシマフウロなどを観る
 さて南樺太での雨のワイルドフラワー探訪だが、白鳥湖(オゼロ・レビャジエ)の湖畔の道は、案の定、ぬかるんでいた。日本の湿原などのような丸太の道などない。日本の自然保護が行き届いていることをあらためてここで実感させられる。
 しかし雨に濡れて、様々なワイルドフラワーが咲いていた。オクエゾガラガラの群落の中に、ゼンテイカ(ニッコウキスゲ、エゾカンゾウとも言われる)がすっくと咲き立っている(写真)。
 散策路はあるのだが(前述のように日本の湿原地帯に敷かれているような木道はない。僕らの歩く道は、野草が踏みしだかれた土道となる)、雨の中、僕たち以外、誰もいない。晴れていれば、本日は日曜日だからユジノサハリンスク市民もワイルドフラワー鑑賞ハイキングに訪れたであろうのに。
 紫のチシマフウロの群落を見かける(写真)。ブッセ湖にも咲いていたが、こちらの方が群落を形成している。チシマフウロは北海道なら亜高山帯に咲く野草だが、南樺太では海跡湖の湖畔にも咲くのだ。

◎植生遷移はまだ草本類の段階
 足下に気をつけながら先を進む。やがて白鳥湖(オゼロ・レビャジエ)の湖岸が見えてきた。平坦な芦原の先に、煙った湖が見える。
 トドマツが生えた一角に、僕たちから離れてゼンテイカの群落が見える(写真)。
 ブッセ湖でもそうだったが、ここ白鳥湖でも、植生遷移がまだ草本類の段階で、マツ、シラカバの陽樹林すら形成されていない。
 わずかに樺太を代表する樹種のトドマツ(写真)が点々と群生しているだけだ。トドマツは、南樺太の山の大半を覆い、戦前、日本はここから大量の木を切り出し、パルプなどを生産した。

◎豊かな海の幸を思う
 樺太は、本当に豊かだった。海には春はニシンが群れ、夏から秋には夥しいサケがやって来た。オホーツク海では、タラバガニが採れた。
 今、南樺太を不当占拠しているロシアは、こうした豊かな海産資源をほとんど利用できていない。そのことは、旅の食事メニューとバザール(市場)での品揃えで簡単に把握できる。
 反対にもし南樺太が今も日本領だったら、魚介類がこれほど高価であったことはないだろう。ブッセ湖、白鳥湖などの海跡湖では、ホタテの養殖が盛んであったに違いない。
 雨の寂寥とした白鳥湖で、そんなことを思った。

注 容量制限をオーバーしているため、読者の皆様方にまことに申し訳ありませんが、本日記に写真を掲載できません。
 写真をご覧になりたい方は、お手数ですが、https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/201908150000/をクリックし、楽天ブログに飛んでいただければ、写真を見ることができます。

昨年の今日の日記:「『戦後の戦争』でソ連赤軍に蹂躙された南樺太の教訓、中国の習近平、日清戦争前の旧・北洋艦隊司令部を訪問」

◇過去の南樺太、千島関係の日記
・18年8月15日付日記:「『戦後の戦争』でソ連赤軍に蹂躙された南樺太の教訓、中国の習近平、日清戦争前の旧・北洋艦隊司令部を訪問」
・18年8月9日付日記:「南樺太終戦後の惨劇、南樺太民間人に対するスターリン・ソ連の戦争犯罪を決して忘れない」
・15年8月19日付日記:「これだけは知って欲しい! 70年前の終戦後のソ連赤軍に対する最北の自衛戦闘が日本分断を救った;現代史」
・15年2月11日付日記:「日露戦争を終わらせた『樺太戦争』から110年、強気なロシア皇帝を講和に踏み切らせた知られざる戦争;現代史」
・06年9月7日付日記「錯綜するロシア観:資源外交、占守島、樺太引き揚げ船、真岡」
1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2019年08月>
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031