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2019年09月05日08:52

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TVを見なくなって一か月

TVを見ない暮らしが始まって、一か月ほど経ちました。
スマホは目が疲れますし、インターネットも必要時しか使いませんので、
ちょっと気象情報を見たい時など、不便な気がする場合もありますけれど、
それも私には絶対に必要でもないので、ま、良いかなと思っております。

YVを見ないと、時間に余裕が有り過ぎるほど有る気がいたします。
食事やお茶休憩の時も、映像に影響されずに、ゆったりした気持ちで
飲み物、食品を味わえるのは、贅沢な時間を頂いている感じです。
考えてみますと、今まで映像や音に係わる時間が多すぎました。

私の場合、静かになりますと、何か単純な作業をしている時なども
自然に咒やお経などが出てまいります。それらを小声で口ずさんだり、
頭の中だけで繰り返したりしながら、家の周りのニガウリやミニトマト、
茄子やナタ豆の世話をする時間がたっぷりとあるのも嬉しい事です。

せっかく山小屋に隠遁のような状態ですのに、そのメリットが十分に
活かされていなかったかもしれない、と今更ながらに感じております。
けれど、今でも気付いたのは幸いでした。という訳で、この一か月ほど、
持ち物、身の回りの道具などが少しずつ見直され整理されてきました。

その作業は、面倒と言えば面倒です。楽しいと思えば楽しいです。
分別される物たちの側から見れば、まさに運命が掛かっていますから、
悲痛な想いで緊張しているかも。あるいは諦めムードやお任せムードで、
静かに人の決断を待っているかもしれません。受動的な立場は不憫です。

絵画などでは、人物や動物に対する「静物」という言い方がありますね。
人にとって、不要な物を捨てる事は賢明なようです。ただ、その物たちが
有意義にリサイクルされないと、少し悲しくなってしまいます。せめて
「ご苦労様」と労ってあげなければ、などと勝手に思っております。

ともかく、身の回りが整理されるのは気持ちが良いです。空間が広がり、
動きやすくなりました。直接的には隣の家の話ですけれど、私の場合には
居住空間の続きのような場所ですので、他人事ではありません。そして勿論、
この機を受けて、私の住居もシンプル化が始まりました。それにしましても、

数十年の間に、呆れるほど多くの物たちが私の手許に来てくれていました。
その一つ一つが皆、先天炁から変化した後天気で出来ている、という道理です。
すごいシステムですよね。そして、その贅沢な環境で生存させて頂いています、
現代の大抵の日本人のご優待状況を想像しますと、不思議な気が致します。

そんな事を思い起こす機会が得られましたのも、先月の停電の日に
突然に始まりました「TVを見ない暮らし」がきっかけでした。
TVが壊れていない皆様も、TVやスマホを見ない日を
たまに試してみられては如何でしょうか?

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