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2019年06月19日18:48

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桜桃忌

6月19日久しぶりに禅林寺に行ってみた。
この日は桜桃忌と言われ太宰治の命日とされている。
太宰治(本名、津島 修治)は愛人の山崎冨栄と玉川上水で入水心中した。その遺体が見つかったのが6月19日だそうだ。

数年前”中央線歩き撮り”で二人の入水場所へ行ったことがあったが、今の玉川上水は水深10cmぐらいのせせらぎだが、昔は水深も深く急流なので自殺者が相次いだそうだ。

今も昔もこの日は若い女性がたくさんお参りに来ていたが、昔は墓参りに若い男女が大挙して列をなしていた。
今も若い女性が多いが、昔に比べるとずっと少ない。

太宰治は「走れメロス」「人間失格」「斜陽」などたくさんの作品を書いた。
しかしプライベートではかなりハチャメチャな人生を送っている。
自殺願望があり何度も自殺未遂を起こしている。(芥川龍之介の自殺に強い衝撃を受けたらしい。それに最初の妻は不倫相手と心中している。)
薬物中毒者でもあった。実家が裕福であったが放蕩三昧の気があった。
愛人も何人かいて、愛人との間に子供もいる。
愛人と心中したが妻に対して遺書を残している。(小説が書けなくなったことが原因だ、と書かれているらしい。)


この日墓参りに来た若い女性は墓の文字にサクランボを押し込んでいた。(昔もこんなことをやっていたかしらん・・)

太宰治の墓の斜め前には森鴎外の墓がある。
(このことについては以前少し書いた。https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1971068719&owner_id=39904538

墓の近くにいたおばあさんが若い女性たちに「こちら側は森鴎外の墓ですよ。森鴎外も有名人なのよ」と説明していたが、若い女性たち(高校生〜大学1,2年生ぐらいか)は森鴎外が誰だか知らなかった。おばあさんも森鴎外の人物像を詳しくは知らないようで、それ以上の説明はなかった。

墓は以前にも書いたように”森林太郎墓”の文字しかない。
墓所は左から「森家墓」次が「森志げ子墓」(鴎外の2度目の妻で女流文学者)、次が「森静男之墓」(静男とは誰だろうと思って調べてみるとどうやら鴎外の父親らしい)次が「森不律 篤次郎 兌之墓」(不律=幼くして死んだ子供、篤次郎=鴎外の弟、兌=?)となっている。

不思議に思ったのは太宰治の墓碑銘が”太宰治”になっていることだ。太宰治はペンネームなので、なぜ本名の津島修治じゃないのだろう?
(となりに津島家之墓がある。)
森鴎外も本名森林太郎になっているし、三島由紀夫も墓には三島由紀夫とは書かれてない。(本名平岡公威)

最近の若者には森鴎外も太宰治をほとんど知られず、「昭和も遠くになった」感が強い。

写真
1:太宰治と津島家の墓
2:太宰治の文字にサクランボを詰め込んでいる。
3:森鴎外の墓 左側面に大正11年7月9日歿と彫られている。



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