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2019年02月10日23:57

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超絶系リアルスーパーヒーローもの。でもそこから引っ繰り返す 『ミスター・ガラス』

本作を理解するには『アンブレイカブル』と『スプリット』の鑑賞が絶対必要だ。*1
同時に両作を見た人は“真実”を把握している。

『アンブレイカブル』でデヴィッドが持つ不死身能力は「本物」だ。
『スプリット』で多重人格のケビンたちは“ビースト”を呼び出し、
人間以上の身体能力を発揮する。

本作においてやはりそれは――超天才的頭脳を持つミスター・ガラスをふくめ――
3人が超絶系リアルスーパーヒーロー/ヴィランだというのは「事実」だ。

3人を収容した病院のステイプル医師は、
デヴィッド、ガラス、ケビンの能力が“妄想”だと信じ込ませ、
“現実”へ順応させるために治療する。
そこから物語は施設の脱出と3人の能力の“確信”へ向け展開していく。

3人の超常能力が「本物」だというネタバレを早々にあかし映画になるのか?
本作は、その「超常」を土台に、物語をさらに引っ繰り返す。
「コミックは現実のスーパーヒーローを記録する媒体」だとウソぶき、
3人の能力が幸福なギフト(贈り物)ではなかったと悲哀を描く監督。*2

監督はやがてヒーローが強力な個性やマイノリティを宿す人々だという知見を語り、
それらを抑圧する世界と人々がいる“現実”の事実を語る。*3

監督はガラスの言葉を借り、
「自身はいままですべて“オリジン(始原)”の物語を作ってきた/描いてきた」と、
抑圧から自身を解放するよう人々を鼓舞する。*4
そうして物語は壮大な変革の序章へ辿り着く。


※1 鑑賞しなくて「大丈夫だろう」は通用はしない。3人のうちのケビンがスーパーパワーを得た原因は『アンブレイカブル』が直接関係している。その因果関係は未見では理解できない。

※2 3人はスーパーパワーを得て幸福になったのか? といえばそうではない。3人はむしろ不幸になって社会から逸脱している、あるいは、隠遁している。せつない。

※3 いままでシャマランはどんでん返しをふくめ、個人的な日常の変化などプライベートな結末へ帰結する場合が大抵であった。だが、本作はどんでん返しをふくめ巨視的な視点に立ち、結末で世界は大きく変わる。たとえばステイプル医師はある可能性に「うまくはいかない」「常識のなかで生きるべき」と夢を摘む、よくある現実の象徴だ。ステイプル医師は、すべてを同質化し可能性を排除する存在でもある。

※4 この結末の希望は、ハリウッドで異色の経歴を持つシャマランの願いと祈りだ。キャリア初期の賞賛から一転。停滞期と低迷期を経験。初期の作風に戻る『スプリット』のスマッシュヒットを経て、本作『ミスター・ガラス』は賛美ありながらも興収1億ドルに王手だ。『スプリット』と『ミスター・ガラス』の制作資金は(ほぼ)全額が監督の持ち出し(自前)だ。そんなことは自らを信じていないと“できない”。
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