生前、母は外出の折には帽子を欠かさなかった。
だから私はうんと頑張ってお出かけ用にと皇族がかぶるような、とびっきりおしゃれな帽子をプレゼントしたこともある。
けれど母が気に入っていたのはベレー帽だった。
カジュアルで比較的洋服に合わせやすかったからだろう。
ベージュ、モスグリーン、ワインレッド。
その三色のベレー帽を洋服の色に合わせて被っていた。ワインレッドは私がプレゼントしたものだったが、最初母は「派手じゃないか?」とその色にかなり抵抗した。
でも赤は一番合わせやすい色。
やがて母もそれを実感するようになったのか、よく被ってくれるようになった。
そのベレー帽を今、私が被っている。
便利だ。
髪をブラッシングするだけで済むし、暖かい。
髪が薄くなっていた母が常に帽子を被っていた理由がよくわかった。
母が使っていたものを私が大切に使えば、母はきっと喜んでくれるだろう。
すっかりベレー帽が気に入った私は、いろんな色があったほうが便利だからと紺色のベレー帽まで新しく買った。
けれど私もやはり一番よく被るのがワインレッドのもの。
でもある日、そのワインレッドのベレー帽を被っていつものようにスーパーに買い物に行った時だ。
園児が制服姿で母親と一緒に店内に入ってきたのを見た途端、私はそそくさとその場を離れた。
離れない訳にはいかなかった。
何しろ園児の制服の帽子が、私のと同じワインレッドのベレー帽だったのだから。
まいったな。
苦笑しながら帰宅して玄関の脇の鏡を見たら、さらにまいった。
その日、私が着ていたのは白いダウン。
そして黒い手袋に、頭にはワインレッドのベレー帽。
…まるで丹頂鶴だがな。
何にでも合う色ってクセモノだわあ。
誰にでも合わせられる人と同じだ。
みんなが右を向いたら何も考えず右を向く。とりあえず右を向く。そして気がついたら誰かと同じ貌になっている。
そんな人みたいな。
ま、私が同じワインレッドのベレー帽を被ったからといって園児に間違えられることはないし、丹頂鶴に間違えられることもないだろうけど。
母が残してくれたもので私が身につけられるものは帽子だけ。
でも、これからその形見のベレー帽を被る時は母より丹頂鶴を思い出してしまいそうで、怖い。
*** 後記 ***
遺影の母は焦げ茶色のベレー帽を被っている。
生前準備してくれていたこの遺影の母は本当にいい笑顔で写っていて、私は遺影に使う写真を選ぶ必要がなくて助かった。
でも、かあさん。
そのベレー帽はちょっと地味だね。
ワインレッドの方が良かったのに。
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