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2016年12月14日03:36

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火宅

実は自分の携帯には毎晩のように相談や悩みのメッセージがまいこむ。

つい最近では、

「たった今自殺未遂しました」

などの切迫した連絡もあった。

悩みの解決は人それぞれで、自分は聞いたところでほぼ解決策はもたないが、いぜん自分にもそういうことがあったので、できることはただ全身を耳のようにして聞き入る事だけだ。

自分の場合、若い頃三度自殺未遂をした。

小学生の頃、何日も両親の帰ってこない電気の消えたマンションはほぼ絶望の空間そのままだった。

中学生の頃、不登校になり、天地広しといえども、寄る辺のない自分の将来を憂いて、海に入った事があった。

しかし時間が経ち、大人になる頃には、ふっきれるようになった。

人間そうそう性格はかわらないが、考え方はかわるものである。

それは変えようと思えば明日からでも変わる。

釈迦曰く、この世は火宅だそうだ。

目の前に享楽があったとしても、腹がへることには変わりなく、いつか死ぬ事にも変わりは無い。

人と人が住む世なのだから、争いごとは避けられない。

たとえ自分が人を憎まなくても、人は自分を憎むのだ。

世の中はそういう不条理の中でできている。

(釈迦はこういう世の中を、「家の中で飯を食っていても外は火がついているのだ」そういう意味で火宅といったという。)

もしそうなら自分の人生は火宅そのものだった。

母親だから抱いてくれるだろう

父親だから愛してくれるだろう

先生だからかばってくれるだろう・・

そんなもん浮浪児に近かった自分にとってみれば絵空事で、子供時代は、その日の食える飯が一杯あるかどうか、それが全てだった。

大人になっても苦境はかわらず、保証人がいないのでアパートすら借りられず、まじめに働いても会社員にさえなれない。

「・・こんな世の中まじめにやっていて何になる?」

正直そう思っていた。

でも、長い時間がたって、いろいろな人たちに支えてもらえるようになっていつのまにか考えが少し変わった。

もし自分いがいがあの母親から生まれていれば?

自分のかわりにだれかがあの暗い部屋へいただろう。

もし自分いがいがあのチンピラの義父に育てられていれば?

だれかがあの折檻用の木製バットで殴られていただろう。

もし自分があのヒステリー女教師から毎日ビンタ受けていなければ?

だれかが代わりにビンタを受けていただろう。

自分は少なくとも誰かの役にたったのである。

まことに世の中は、火宅にこの銀次郎を追いやった。

しかし、それが自分の役回りだと、自覚した時点で、

「・・すごいぞ俺!」

とほんの少しだけ思えるようになった。

そういう風に視点を変えると、自分は周囲の困ったちゃんであっても、急に愛らしく思えるようになってきた。

現在の自分は、誰よりも幸せだと思っている。

子供の頃、手が付けられない悪童と思われていた自分、大人になっても、半分自暴自棄だった自分、そんな腐った男が、今ではどこをどう間違ったのか、一部の人間からヒーロー呼ばわりさえされる。

家族のいなかった男が、肌の色が違う人間からさえも、家族といわれる。

ただ自分がやったことは、損な役回りを自認する。そしてそれを自分の代で止める努力をする。たったそれだけだ。

だがそれだけでも自分をとりまく環境は100%変わる事になった。

今の自分は自分自身も、そしてその周囲も大好きである。


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