汚職で苦しむタイ
タイ人からいただく個人メッセージの種類で一番多いのは実は汚職についての悩みだ。
「タイの警官に訴えても権力者とつながっているようで取り上げてくれない」
「とある軍人からいじめにあっていて、公にしたい」
「政府が・・」
など、多岐に及ぶが要は民間人、弱い人たちを守るはずの権力者が実は自分のことを一番先に考えていたり、他の人たちのことを考えていなかったりしていることが一番の原因だ。
彼らがこの銀次郎に相談してくれる事はありがたいのだが、自分は外国人、何の権利ももっていないが自分の国であったことを例にとることはできる。
実は日本もそういった汚職や権力者の恣意的な行動については無縁の歴史では無い。むしろ多かった。
たとえば明治維新までは下級者が幕府の管理役人に「ことづけ」をしないと意思が伝達しないほどだったし、明治の社会になっても、決してすくなくない官僚が賄賂を受け取っていた。
しかしこの動きの中で日本人がどう動いたか。
汚職を働く人間がいるぶんだけ、社会正義を望む男達も多かった。
たとえ汚職とみられていなくても、
「世のためにならず」
と思われた時点で最悪天誅の対象になった。
たとえば幕末であれば下っ端の十手持ちでさえ、尊皇過激派から奸賊と見られればたちまち首を切られ三条河原で晒された。
これは明治の世になっても変わらず、少しでも噂がたつと奸賊とされ、暗殺されることが多かった。
初代文部大臣森有礼などは伊勢神宮の暖簾をステッキで開けたとされる噂が流布され、極端に西洋化を嫌う国粋主義者によって暗殺されている。
この過激な流れは青年将校達が兵を率いて政府首脳らを暗殺してまわった226の時代まで続いたと思う。
思えば戦前日本の歴史はほんとうに物騒な時代だった。
戦後も、日本の権力者達は、暗殺されこそはしないが、たとえ実力者であっても、卑怯な真似をすると世論によってあたかも抹殺されるような自体にまで追い込まれる。
戦後社会の中で、どれだけの実力者が自殺していったろう。
日本で私腹を肥やして悪い事をしている輩がいるとしたら、決して表面に出てこない人間達だろう。
誤解しないでほしいのだけれど、自分はタイ人にテロや暗殺を薦めているのではない。
暗殺やテロはしょせん三流の人間がすることである。
こんな卑怯な手段で世の中の流れが変わった事実はほぼない。
ただし、自分がタイ人の習慣を見るに、ここだけは治した方が良いという面はある。
タイ人が個人的な争いを起こすと、
「・・俺には警察高官のしりあいがいる」
「・・俺には軍人の・・」
と、多くの場合でこういう言い合いが始まる。
あれだけ汚職を嫌い、権力者の恣意的な行動を憎んでいるタイ人が、いざ自分の身にトラブルがふりかかると、すぐ権力者に頼ろうとする。
汚職を憎み、世の汚さを呪うなら、少なくとも自身はその力を頼らない事だ。
汚職がはびこり、権力者が肥え太る原因は、彼らを頼る人間がいるからこそである。
権力者を嫌う割に、彼らを頼り肥え太らせるタイ人は、自分から見たら大きな矛盾である。
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